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中学 歴史 第2巻 — 中世

「なぜ起きた/だれが得して/だれが弱くなったか」を時代順に追う教科。年号より先に、社会の動き方がわかれば、用語は自然に体に入る。

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目次(第2巻 中世)

学び方(記憶の科学・4本の縦糸)は 歴史トップ にまとめてあります。詰まったら 📜 完全年表 へ。

Unit 8 — 鎌倉① 幕府の成立

武士による初めての政府=鎌倉幕府の誕生。源頼朝が平氏を倒し、守護・地頭を置いて全国を支配。武士の主従関係「御恩と奉公」が、この後の武士社会の土台になる。

時代の見取り図

支配者は?武士(将軍と御家人)。京都の朝廷と並ぶ二重政府に。
経済の基盤武士は土地(領地)が命。御恩=土地、奉公=忠誠。
対外関係この段階では大きな外交はなし(元寇は次のUnit 9)。
前からの変化貴族の世 → 武士の世へ。政治の中心が京都から鎌倉(東国)へ。
A 土地御恩と奉公=土地と忠誠の交換。将軍が御家人の土地を守り(本領安堵)、戦功で土地を与える(新恩給与)。土地が武士をつなぐ。
B 武士武士がついに「国の支配者」に! 源頼朝が幕府を開き征夷大将軍に。武士史の頂点への第一歩。
C 権力名目は天皇・朝廷、実権は鎌倉幕府。やがて将軍の力も北条氏(執権)へ移る(Unit 9)。
D 対外大きな動きなし(次のUnit 9で元寇)。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 源頼朝はなぜ、京都ではなく「鎌倉」に拠点を置いたと思う?
    考えるヒントと答え
    鎌倉は東国(関東)の武士の本拠地で、頼朝の味方が多かった。三方を山、一方を海に囲まれ守りやすい地形。貴族の都・京都から離れ、武士だけの政権を作るのに適していた(縦糸B+地理)。
  2. 「御恩と奉公」とは、将軍と武士のどんな関係だと思う?
    考えるヒントと答え
    御恩=将軍が武士(御家人)の土地を守り、手柄に土地を与える奉公=武士は将軍に忠誠を誓い、戦いのときは命がけで戦う。「土地」と「忠誠」を交換する関係(縦糸A・B)。
  3. 「守護」と「地頭」、それぞれどんな役割だと思う?
    考えるヒントと答え
    守護=国ごとに置かれ、軍事・警察を担当。地頭=荘園・公領ごとに置かれ、税の取り立て・土地の管理。この2つを全国に置いたことで、幕府の支配が地方の隅々まで届いた。
平氏の独裁 源平合戦 壇ノ浦(1185) 守護・地頭設置 頼朝 征夷大将軍(1192)
6Wでみる「鎌倉幕府の成立」
背景平清盛が独裁を強め「平家にあらずんば人にあらず」と言われるほど。他の武士や上皇が反発。
誰が・何を伊豆に流されていた源頼朝が1180年に挙兵。弟源義経が一の谷・屋島・壇ノ浦で平氏を破った。
結果1185年に平氏滅亡。同年、頼朝は守護・地頭を置く権利を獲得(実質的な幕府成立)。1192年に征夷大将軍に。
影響鎌倉(東国)を本拠とする武士の政権が誕生。京都の朝廷と並ぶ「二重政府」に。武士の世が始まる。
封建制度の核 =「御恩と奉公」
御恩将軍 → 御家人へ。本領安堵(先祖の土地を守る)+新恩給与(手柄に新しい土地を与える)。
奉公御家人 → 将軍へ。忠誠を誓い、戦いのときは命がけで戦う(いざ鎌倉)。
注意この関係は「土地」で成り立つ。土地を与えられないと崩れる → 元寇後の幕府衰退の伏線(Unit 9)。

鎌倉幕府のしくみを1枚で — 中央3つ・地方2つ・のちに追加2つ

将軍 (源氏3代 → 摂家将軍・皇族将軍) 執権(北条氏) ← 実権 侍所(さむらいどころ) 御家人の統率・軍事 「さむらい=武士」 政所(まんどころ) 政治・財政 「政(まつりごと)」 問注所(もんちゅうじょ) 裁判(土地争いなど) 「問い・注(記録)」 ▼ 地方(1185年〜) 守護(しゅご)= 国ごとに1人 軍事・警察(大番催促・謀反人や殺害人の逮捕) → 室町時代に「守護大名」へ 地頭(じとう)= 荘園・公領ごと 年貢の取り立て・土地の管理 御家人が任命される=御恩 ▼ あとから追加 六波羅探題(京都・1221承久の乱後) 朝廷の監視・西国の御家人の統率 鎮西探題(博多・元寇のあと) 九州の防衛・裁判

覚え方:「さむらい(侍所)は戦いまつりごと(政所)は政治問い(問注所)は裁判」。⭐ 記述の定番「守護と地頭の違い」→ 守護=ごと・軍事警察/地頭=荘園・公領ごと・年貢の徴収

御恩と奉公 — 「土地」で結ばれた主従関係(封建制度)

将軍(幕府) 武士の棟梁 御家人(武士) 将軍に従った武士 御恩(ごおん)= 先に将軍から ①本領安堵(今の土地を認める) ②新恩給与(手柄に新しい土地) 奉公(ほうこう)= お返しに御家人が 戦いに参加(軍役)/京都・鎌倉の警備(大番役)/幕府の工事の費用 「いざ鎌倉」— 何かあれば土地を捨てても駆けつける

土地を仲立ちにした主従関係=封建制度。⚠ 順番は「先に御恩(土地)、あとから奉公(軍役)」。この関係が土地でしか成り立たないことが、元寇のあと幕府がゆらぐ原因になる(Unit 9)。

源氏の将軍は3代で終わり — 北条氏が「執権」として実権へ

1199 頼朝の死
落馬が原因とも
2代 頼家
有力御家人13人の合議制→追放・殺害
1203 北条時政 初代執権 3代 実朝(歌人・金槐和歌集)
1219 甥の公暁に暗殺
源氏の将軍 断絶
京都から摂家・皇族を将軍に迎え、北条氏が執権政治

⭐ 北条氏の主な執権:時政(初代)→ 義時(2代・承久の乱)→ 泰時(3代・御成敗式目)→ 時頼(5代・引付衆)→ 時宗(8代・元寇)。「政子は執権ではない」(頼朝の妻・尼将軍)。

鎌倉幕府の成立に関わる場所マップ

赤=幕府・源氏、茶=戦い、緑=鎌倉の守り。

1 鎌倉(神奈川) 2 伊豆(頼朝の流刑地) 3 平泉 1189(岩手) 4 京都(朝廷・六波羅) 5 壇ノ浦 1185(山口) 6 東国(関東)=御家人の本拠→ ● 赤=幕府・源氏 ● 茶=戦い・朝廷 ● 緑=東国 鎌倉の地形(北↑) 相模湾(南=海) 三方を山に囲まれる 若宮大路 切通し↗ ↖切通し 鶴岡八幡宮
  • 1鎌倉 神奈川県鎌倉市三方が山・一方が海の天然の要害。出入りは狭い切通しだけ。鶴岡八幡宮から海へ若宮大路。東国の武士の本拠で、京都の朝廷から距離を置けた
  • 2伊豆 静岡県頼朝が平治の乱後20年間流された地。北条時政の娘・政子と結婚し、1180年に挙兵
  • 3平泉 岩手県1189年 頼朝が義経をかくまった奥州藤原氏を滅ぼす→東北まで支配
  • 4京都 京都府朝廷(後白河法皇)。1185年に守護・地頭の設置を認めさせ、1192年に征夷大将軍に任命される
  • 5壇ノ浦 山口県1185年 平氏滅亡(Unit 7)
  • 6東国(関東) 頼朝に従った御家人の多くは関東の武士。幕府=東国武士の政権

武士のくらし — 「館・武芸・相続」

鎌倉武士の生活

  • (やかた):堀と塀に囲まれた質素な屋敷(武家造)。周りに田畑、農民を使って自分でも耕作を指揮
  • 武芸の訓練:流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)=「騎射三物」。「弓馬の道」=武士の道徳
  • 惣領制:一族の長(惣領)が一門をまとめ、戦いのときは一族を率いる。土地は子ども(女子も)に分割相続→代を重ねると土地が細かくなり貧しくなる(元寇後の困窮の一因)
  • 食事は1日2回・玄米。質素・実直が武士の誇り

重要事件と年号

1180源頼朝ら挙兵以仁王の令旨・伊豆で
1183木曽義仲 入京・平氏の都落ち
1184一ノ谷の戦い(義経)
1185壇ノ浦で平氏滅亡/守護・地頭設置いいやごく(1185)平氏滅亡
1189奥州藤原氏を滅ぼす(義経の死)
1192源頼朝 征夷大将軍にいいくに(1192)つくろう鎌倉幕府
1199源頼朝の死→北条氏台頭
1203北条時政 初代執権に
12193代 実朝 暗殺→源氏の将軍断絶

「いい国(1192)」と「いい箱(1185)」— 2つの年号の意味

1185=「いいやごく(平氏滅亡・守護地頭)」/ 1192=「いい国つくろう(征夷大将軍)」

なぜ2つ年号があるのか👉 1185年に平氏が滅び、頼朝が守護・地頭を全国に置いた=実質的に支配開始。1192年に正式な称号征夷大将軍を得た。
👉 入試ではどちらも幕府成立年として認められる。「実質支配=1185」「正式な肩書き=1192」と区別して、両方覚えておくと並び替え問題に強い。

重要人物

源頼朝1147-1199伊豆で挙兵→鎌倉を本拠に→平氏討伐→征夷大将軍。鎌倉幕府を開く
源義経1159-1189頼朝の弟。一の谷・屋島・壇ノ浦で平氏を破る天才的武将。のち頼朝と対立し奥州で討たれる。
北条政子1157-1225頼朝の妻。「尼将軍」。頼朝の死後、北条氏の実権を支える。
源実朝1192-12193代将軍。歌人で『金槐和歌集』。鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺され、源氏の将軍は3代で断絶
北条義時1163-12242代執権。政子の弟。承久の乱(1221)で朝廷に勝つ(Unit 9)。
北条時政1138-1215政子の父。初代執権。将軍を補佐する形で実権を握り始める。

なぜ幕府は「鎌倉」に? 守りに強い地形

鎌倉は三方を山に囲まれ、一方が海。敵が攻め込みにくく、出入口は「切通し」という狭い道だけ。守りに最適な「天然の要塞」だった。さらに東国(関東)は頼朝に従う武士の本拠地。貴族の都・京都から離れ、武士だけの政権を作るのにうってつけだった。

同時期の世界

鎌倉幕府ができたころ、ユーラシアではチンギス=ハンがモンゴル帝国を築き始め(1206〜)、史上最大の帝国へ拡大していく(この脅威が次のUnit 9の元寇に)。イギリスではマグナ=カルタ(1215)で王の権力が制限され、のちの議会政治の出発点になった。

1187サラディン エルサレム奪回
1206チンギス=ハン即位
1215マグナ=カルタ(英)

📖 史料 — 『平家物語』冒頭

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
出典:『平家物語』巻一・冒頭(琵琶法師が語り歩いた軍記物語)
  1. hist-8-s1 「盛者必衰」が表す、滅びていく一族は?
    平氏(壇ノ浦で滅亡)
  2. hist-8-s2 この物語を語り広めたのはどんな人々?
    琵琶法師(盲目の僧が琵琶を弾きながら語った)

よくある間違い

  • 「鎌倉幕府は1192年に成立」→ 入試では1185年説(守護・地頭設置)も正解。両方覚える。
  • 「守護=税の取り立て、地頭=軍事警察」→ ✗ 逆。守護=軍事警察(国ごと)、地頭=税・管理(荘園ごと)
  • 「平清盛が鎌倉幕府を開いた」→ ✗。鎌倉幕府は源頼朝
  • 「奉公が先で御恩があと」→ ✗。先に将軍が御恩(土地)を与え、そのお返しが奉公
  • 「北条政子は執権」→ ✗。政子は頼朝の妻(尼将軍)。初代執権は父の北条時政、承久の乱のときの執権は弟の義時
  • 「侍所=裁判、問注所=軍事」→ ✗ 逆。侍所=軍事(御家人の統率)、政所=政治・財政、問注所=裁判
想起トレーニング:「御恩と奉公とは、どんな関係か」を説明してみよう
ヒント① 御恩は、誰が誰に何をする?
将軍が御家人に。先祖の土地を守り(本領安堵)、手柄に新しい土地を与える(新恩給与)。…奉公は?
ヒント② 奉公は、誰が誰に何をする?
御家人が将軍に。忠誠を誓い、いざというとき命がけで戦う。…この関係は何で成り立つ?
答え
御恩=将軍が御家人の土地を守り、手柄に土地を与える。奉公=御家人が将軍に忠誠を誓い、戦いのとき命がけで戦う。「土地」と「忠誠」を交換する主従関係(封建制度)。だから土地が与えられなくなると関係は崩れる(→元寇後の伏線)。

📗 つまずき・誤答・テスト頻出パターン(Unit 8)

digitalkodomo「中学生の学習ノート」の整理を取り入れた節。上の本文を読んだあとに、どこで迷いやすいかテストでどう聞かれるかを確認する。

鎌倉幕府 ── 御恩と奉公の世

これだけは覚える 1185年(守護・地頭)/1192年(征夷大将軍)/1221年(承久の乱)/1232年(御成敗式目)の4つの年号と、御恩と奉公=土地を介した主従関係。北条氏=執権六波羅探題=朝廷監視をセットで覚える。

この章でつまずきやすいところ

守護と地頭をどちらが「国単位」か逆に覚えてしまう

つまずく場面本文で「守護は国ごと、地頭は荘園や公領ごと」と読んだ直後でも、問題に戻ると「守護は荘園ごとだったかな」と迷ってしまう場面。両方とも将軍が任命する役職なので、似た言葉が混ざってしまいます。

克服のコツ位置関係で覚えると安定します。守護は広い「国」全体を見る役で、御家人の統率や軍事・警察を担当。地頭はもっと細かい「荘園・公領」に置かれて、年貢の取り立てや治安を担当。「守護=国の上から見る/地頭=土地の現場で動く」と上下のイメージで結びつけましょう。

ミニ例守護は一国に1人ずつ、地頭は荘園や公領ごとに置かれた。教科書では「守護=軍事・警察」「地頭=年貢徴収・土地管理」とセットで整理します。

「御恩」と「奉公」がどちらから将軍側かを取り違える

つまずく場面本文で「将軍と御家人は御恩と奉公で結ばれた」と読んだあと、練習問題で「御恩の内容を書きなさい」と聞かれて、つい御家人側の働きを書いてしまう場面。言葉の向きが分かりにくく迷います。

克服のコツ因果関係で押さえます。先に将軍が「御恩」として土地を与えたり保証するから、御家人がそのお返しに「奉公」として戦いや警備で仕えるという順番です。「土地が先、働きはあと」と矢印を頭の中に書くと、どちらが将軍側の行いか迷いません。

ミニ例御恩=将軍が御家人に新しい領地を与えたり、もとの土地を保証する。奉公=御家人が戦いで命をかけて働き、平時は警備にあたる。

鎌倉幕府の成立年を「1192年だけ」と思い込む

つまずく場面「いいくに作ろう鎌倉幕府」の語呂で1192年を覚えたあと、本文の「1185年に守護・地頭の設置が認められた」「近年は1185年成立説も有力」という記述を見て、どちらが正解か分からなくなる場面。

克服のコツ時系列で押さえれば両方つながります。1185年に平氏が滅び、同年に守護・地頭の設置が認められて全国的な支配の仕組みができ、1192年に頼朝が征夷大将軍に任命されて形式が整いました。教科書では「実質1185年〜、征夷大将軍は1192年」と二段階で整理されています。

ミニ例1180年挙兵 → 1185年平氏滅亡・守護地頭の設置 → 1192年征夷大将軍に任命、という流れで結果として鎌倉幕府が固まっていきます。

北条氏の人物名を全員ごちゃまぜにしてしまう

つまずく場面本文に北条政子・北条時政・北条義時・北条泰時と「北条」が連続して出てきて、誰が承久の乱で勝った人で、誰が御成敗式目を作った人か、読みながら混ざってしまう場面。

克服のコツ時系列で「世代+できごと」をセットにします。時政=初代執権、政子=頼朝の妻で承久の乱で御家人を結束させる演説、義時=承久の乱当時の執権として幕府を率いた、泰時=1232年に御成敗式目を制定。世代の順に「初代→政子・義時→泰時」と並べて、それぞれ1つの代表事件を結びつけて覚えます。

ミニ例承久の乱(1221年)では政子の演説で御家人が結束し、執権義時のもと幕府軍(泰時・時房が上洛)が勝利し、後鳥羽上皇は隠岐に流された。その後の泰時御成敗式目を定めた、という順で押さえます。

みんなが間違える誤答

よくある誤答 守護が年貢を集め、地頭が軍事や警察を担当したと答える

💡 ここがちがう 「守護」も「地頭」も地方に置かれた役職だという点だけで覚えてしまい、それぞれの担当分野を逆にしている。

正しい理解 守護は国ごとに置かれて軍事・警察を担当し、地頭は荘園や公領ごとに置かれて年貢徴収や土地管理を担当した。

よくある誤答 御家人とは、鎌倉時代に生きていたすべての武士のことだと答える

💡 ここがちがう 御家人を「武士」という大きなくくりだけで捉えてしまい、将軍との間に主従関係があるかどうかを見ていない。

正しい理解 御家人とは、将軍と御恩(土地の保護・給与)と奉公(軍役などの奉仕)の主従関係を結んだ武士のことである。

よくある誤答 幕府ができてすぐに朝廷は消滅し、政治からいなくなったと答える

💡 ここがちがう 「幕府ができた」という一つの出来事だけで、朝廷の力がその日のうちにゼロになったと考えてしまっている。

正しい理解 朝廷はすぐには消えず、幕府と並びながら存在し、承久の乱などを経て幕府が次第に力を強めていった。

テストで出る型と答え方

パターン1:年号と人物を結びつけて問う

📝 出題例 1192年に征夷大将軍に任命された人物は誰か。また、近年「鎌倉幕府の成立年」とされることが多い年は何年か、その理由とともに答えなさい。

答え方 ①人物名→②年号→③出来事の内容の順で整理しましょう。1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年、1185年は守護・地頭を設置して実質的な支配が始まった年と説明できればOKです。

⚠️ ありがちなミス 「いいくに(1192)」だけで覚え、1185年に守護・地頭が設置された意味を答えられないミスが多いです。

パターン2:守護と地頭の違いを比較で問う

📝 出題例 鎌倉幕府が全国に置いた守護と地頭について、それぞれの設置単位と役割の違いを説明しなさい。

答え方 設置単位役割の2軸で比較するのがコツ。①守護=国ごと、御家人の統率・軍事・警察、②地頭=荘園や公領ごと、年貢の徴収・治安維持、と2点ずつ書けば満点です。

⚠️ ありがちなミス 守護と地頭を入れかえてしまうミス。「国=守護」「荘園=地頭」とセットで覚えましょう。

パターン3:御恩と奉公の主従関係を問う

📝 出題例 鎌倉時代の武士社会を支えた「御恩と奉公」とはどのような関係か。土地という言葉を使って説明しなさい。

答え方 ①「土地」を中心とした主従関係であることを最初に書きます。次に、御恩=将軍が御家人に土地を与え保証する奉公=御家人が戦いで命をかけて働き平時は警備すると分けて書けば完璧です。

⚠️ ありがちなミス 「お金をもらうかわりに働く」と書いてしまうミス。報酬は土地であることが大切です。

パターン4:承久の乱の原因・結果・影響を問う

📝 出題例 1221年の承久の乱で挙兵した上皇は誰か。乱の結果と、京都に新しく設置された機関の名を答えなさい。

答え方 ①挙兵した人物→②結果→③設置された機関の順に整理。①後鳥羽上皇、②幕府の圧勝で上皇は隠岐に流された、③京都に六波羅探題が置かれ朝廷を監視した、までセットで答えましょう。

⚠️ ありがちなミス 六波羅探題を「鎌倉に置かれた」と書いてしまうミス。京都に置かれ、朝廷を監視する役所です。

パターン5:御成敗式目と執権政治を問う

📝 出題例 1232年に御成敗式目を制定した人物は誰か。また、この法律はどのような人々のためにつくられたか、簡潔に答えなさい。

答え方 ①人物→②対象→③意義の順に書きます。①制定者は北条泰時(執権)、②武士のための法律で全51か条、③武士の慣習を「道理」を基準に明文化した最初の本格的な法典、と説明できれば高得点です。

⚠️ ありがちなミス 制定者を「源頼朝」や「北条政子」と書くミス。執権・北条泰時が1232年に定めたと正確に覚えましょう。

テスト前の総仕上げ 鎌倉幕府は「年号+人物+制度」をセットで覚えることが得点アップの近道です。1185・1192・1221・1232の4つの年号と、頼朝・北条政子・後鳥羽上皇・北条泰時の人物を必ず結びつけて確認しましょう。

違い辞典 — 混同しやすい3ペアを表で
守護と地頭の違い
比べる軸守護(しゅご)地頭(じとう)
設置の単位国ごとに1人荘園や公領ごとに1人
主な役割御家人の統率・軍事・警察年貢の徴収・土地管理・治安維持
対象武士(御家人)の取りまとめ土地と農民の管理
任命者将軍(幕府)将軍(幕府)
設置のきっかけ1185年に朝廷から設置を認められる1185年に朝廷から設置を認められる
意義地方の武士を幕府の指揮下に置く京都から離れた地でも年貢を確保できる
御恩と奉公の違い
比べる軸御恩(ごおん)奉公(ほうこう)
行う側将軍が御家人に対して行う御家人が将軍に対して行う
内容土地(領地)を与える・所有を保証する戦いでの軍役・平時の警備
中心となるもの土地(領地)命がけの働き
戦時の意味手柄を立てた者に新しい土地を与える命をかけて戦いに参加する
平時の意味もとからの領地を守る京都や鎌倉の警備につく
ゆらいだ場面元寇では新しい土地が少なく与えられなかった命がけで戦ったのに恩賞が不十分で不満が高まった
将軍と執権の違い
比べる軸将軍執権(しっけん)
立場幕府のトップ(名目上の最高位)将軍の補佐役(実質的なトップ)
務めた一族源氏3代(頼朝・頼家・実朝)北条氏が代々務める
任命するもの朝廷が征夷大将軍に任命幕府内で代々受けつぐ
代表人物源頼朝(初代将軍)北条時政・義時・泰時・時宗
源氏3代後の実態途絶えて形だけの存在に実権を握り執権政治を行う
代表的なはたらき幕府を開き全国支配のしくみを作る承久の乱に勝利・御成敗式目を制定
解き方の手順 — 5ステップ
  1. 成立の流れを年号で並べる

    鎌倉幕府の成立は 1185年(守護・地頭の設置)1192年(源頼朝が征夷大将軍に任命)の2つの年号を押さえます。実質的支配の開始と正式な任命を区別して覚えると、どちらの説で問われても対応できます。

    例題:問:頼朝が征夷大将軍に任命されたのは何年か。
    答:1192年(「いいくに作ろう鎌倉幕府」)。守護・地頭の設置は1185年

  2. 守護と地頭の違いを表で覚える

    守護は国ごとに1人で、御家人の統率と軍事・警察を担当。地頭は荘園や公領ごとに置かれ、年貢の徴収と治安維持を担当します。「単位(国/荘園)」と「仕事(軍事/年貢)」を対にして整理しましょう。

    例題:問:守護と地頭の違いは?
    答:守護は国ごとに置かれ軍事・警察、地頭は荘園ごとに置かれ年貢徴収を担当。

  3. 御恩と奉公を「土地のギブ&テイク」で理解する

    御恩=将軍が御家人に土地を与え・保証する。奉公=御家人が戦いのとき軍役、平時は警備で将軍に仕える。土地を介した主従関係であることをセットで覚えると、元寇で関係がゆらぐ理由(恩賞の土地が少ない)も説明できます。

    例題:問:御恩と奉公とは?
    答:将軍が御家人の土地を保証し(御恩)、御家人は戦いと警備で仕える(奉公)。

  4. 執権政治の人物と政策を結びつける

    源氏将軍は3代(頼朝・頼家・実朝)で途絶え、北条氏執権として実権を握ります。時政→義時→泰時→時宗の順で、誰が何をしたか(承久の乱、御成敗式目、元寇)を結びつけて覚えます。

    例題:問:御成敗式目を定めたのは誰?
    答:北条泰時(1232年、全51か条、武士の慣習を法律化)。

  5. 承久の乱の原因・結果・影響をセットで整理する

    1221年後鳥羽上皇が幕府打倒のため挙兵 → 北条政子が御家人を団結させ幕府が圧勝 → 上皇は隠岐に流され、京都に六波羅探題を設置。これで武家政権が朝廷より上に立ったことを必ず影響として書きます。

    例題:問:承久の乱で挙兵した上皇と、乱後設置された機関は?
    答:後鳥羽上皇六波羅探題

この章のまとめ
  • 源頼朝が1192年に 征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府を開く(実質1185年〜)。
  • 幕府は 守護(国ごと)・地頭(荘園ごと)を全国に置いて支配。
  • 武士社会の根本は 御恩と奉公(土地を媒介とした主従関係)。
  • 源氏3代で将軍は途絶え、北条氏執権として実権を握る(執権政治)。
  • 1221年の 承久の乱で幕府が朝廷に圧勝。六波羅探題で朝廷を監視。
  • 1232年、北条泰時御成敗式目を制定。武士の慣習を初めて法律に。

練習問題 — Unit 8

  1. hist-8-q1 鎌倉幕府を開いた人物は?
    源頼朝
  2. hist-8-q2 1185年、源平合戦最後の戦いの地は?
    壇ノ浦(山口県)
  3. hist-8-q3 壇ノ浦などで平氏を破った頼朝の弟は?
    源義経
  4. hist-8-q4 1185年に頼朝が国ごとに置いた、軍事・警察の役は?
    守護
  5. hist-8-q5 同じく荘園・公領ごとに置かれた、税の取り立て役は?
    地頭
  6. hist-8-q6 源頼朝が征夷大将軍に任命されたのは何年?
    1192年(幕府成立は1185年説も)
  7. hist-8-q7 入試頻出将軍と御家人の主従関係を何と何という?
    御恩と奉公
  8. hist-8-q8 「御恩」の2つの内容は?
    本領安堵(先祖の土地を守る)と新恩給与(手柄に土地を与える)
  9. hist-8-q9 御恩と奉公で結ばれた、土地を仲立ちとする社会のしくみを何という?
    封建制度
  10. hist-8-q10 鎌倉幕府で将軍に従った武士を何という?
    御家人
  11. hist-8-q11 源頼朝の死後、政治の実権を握り始めた妻の一族は?
    北条氏
  12. hist-8-q12 将軍を補佐する形で北条氏が握った役職は?
    執権
  13. hist-8-q13 「尼将軍」と呼ばれた頼朝の妻は?
    北条政子
  14. hist-8-q14 平氏の興亡を描いた軍記物語は?
    平家物語(琵琶法師が語った)
  15. hist-8-q15 入試頻出源頼朝が政治の拠点を鎌倉に置いた理由は?
    三方を山・一方を海に囲まれ守りやすく、東国(関東)は頼朝に従う武士の本拠地だったから
  16. hist-8-q16 入試頻出守護と地頭を全国に置いたことの意味は?
    幕府の支配が地方の隅々まで届くようになった(軍事・警察と徴税・土地管理を全国に配置)
  17. hist-8-q17 入試頻出鎌倉幕府の中央の3つの役所と、それぞれの仕事は?
    侍所=御家人の統率・軍事/政所=政治・財政/問注所=裁判
  18. hist-8-q18 御恩の内容を2つ、言葉で。
    本領安堵(先祖代々の土地を認める)・新恩給与(手柄に新しい土地を与える)
  19. hist-8-q19 奉公の内容を2つ。
    軍役(戦いに参加)・京都や鎌倉の警備(大番役)
  20. hist-8-q20 入試頻出御恩と奉公は、どちらが先か?
    先に御恩(将軍が土地を与える)→あとから奉公
  21. hist-8-q21 1189年、源頼朝が義経をかくまったとして滅ぼした東北の一族は?
    奥州藤原氏(平泉)
  22. hist-8-q22 源頼朝が伊豆で挙兵するきっかけになった、1180年の皇族の命令は?
    以仁王の令旨
  23. hist-8-q23 入試頻出鎌倉の地形の特徴を、防御と関連づけて説明せよ。
    三方を山に囲まれ一方が海で、出入口は狭い切通しだけ→攻めにくい天然の要害
  24. hist-8-q24 鎌倉の中心にある神社と、そこから海へのびる大通りは?
    鶴岡八幡宮若宮大路
  25. hist-8-q25 鎌倉幕府3代将軍で、『金槐和歌集』を残し暗殺された人物は?
    源実朝(1219年・甥の公暁に)
  26. hist-8-q26 源氏の将軍が3代で絶えたあと、幕府はどこから将軍を迎えたか?
    京都の摂関家(藤原氏)皇族から(実権は北条氏の執権)
  27. hist-8-q27 武士の館の周りにあったものと、武芸の訓練「騎射三物」を答えよ。
    堀と塀/流鏑馬・笠懸・犬追物
  28. hist-8-q28 鎌倉武士の一族をまとめた長を何といい、土地の相続はどう行われたか?
    惣領/子ども(女子も)への分割相続→土地が細かくなり貧しくなる
  29. hist-8-q29 承久の乱のあと京都に置かれた機関と、元寇のあと博多に置かれた機関は?
    六波羅探題鎮西探題
  30. hist-8-q30 入試頻出鎌倉幕府の成立年について、1185年説と1192年説の根拠をそれぞれ答えよ。
    1185年=守護・地頭の設置(全国支配の実質)/1192年=征夷大将軍の任命(形式の完成)
  31. hist-8-q31 北条氏の執権を初代から3人、順に。
    時政(初代)→義時(2代)→泰時(3代)
  32. hist-8-q32 鎌倉幕府は「東国の政権」といわれる。理由は?
    頼朝に従った御家人の多くが関東の武士で、京都の朝廷から離れた鎌倉に幕府を置いたから
  33. hist-8-q33 入試頻出1192年に征夷大将軍に任命された人物は誰か。また、近年「鎌倉幕府の成立年」とされることが多い年は何年か、その理由とともに答えなさい。
    ①人物名→②年号→③出来事の内容の順で整理しましょう。1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年、1185年は守護・地頭を設置して実質的な支配が始まった年と説明できればOKです。 ⚠️ 「いいくに(1192)」だけで覚え、1185年に守護・地頭が設置された意味を答えられないミスが多いです。
  34. hist-8-q34 入試頻出鎌倉幕府が全国に置いた守護と地頭について、それぞれの設置単位と役割の違いを説明しなさい。
    設置単位役割の2軸で比較するのがコツ。①守護=国ごと、御家人の統率・軍事・警察、②地頭=荘園や公領ごと、年貢の徴収・治安維持、と2点ずつ書けば満点です。 ⚠️ 守護と地頭を入れかえてしまうミス。「国=守護」「荘園=地頭」とセットで覚えましょう。
  35. hist-8-q35 入試頻出鎌倉時代の武士社会を支えた「御恩と奉公」とはどのような関係か。土地という言葉を使って説明しなさい。
    ①「土地」を中心とした主従関係であることを最初に書きます。次に、御恩=将軍が御家人に土地を与え保証する奉公=御家人が戦いで命をかけて働き平時は警備すると分けて書けば完璧です。 ⚠️ 「お金をもらうかわりに働く」と書いてしまうミス。報酬は土地であることが大切です。
  36. hist-8-q36 入試頻出1221年の承久の乱で挙兵した上皇は誰か。乱の結果と、京都に新しく設置された機関の名を答えなさい。
    ①挙兵した人物→②結果→③設置された機関の順に整理。①後鳥羽上皇、②幕府の圧勝で上皇は隠岐に流された、③京都に六波羅探題が置かれ朝廷を監視した、までセットで答えましょう。 ⚠️ 六波羅探題を「鎌倉に置かれた」と書いてしまうミス。京都に置かれ、朝廷を監視する役所です。
  37. hist-8-q37 入試頻出1232年に御成敗式目を制定した人物は誰か。また、この法律はどのような人々のためにつくられたか、簡潔に答えなさい。
    ①人物→②対象→③意義の順に書きます。①制定者は北条泰時(執権)、②武士のための法律で全51か条、③武士の慣習を「道理」を基準に明文化した最初の本格的な法典、と説明できれば高得点です。 ⚠️ 制定者を「源頼朝」や「北条政子」と書くミス。執権・北条泰時が1232年に定めたと正確に覚えましょう。

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 8)

3つを声に出して。

  • 鎌倉幕府はどうやって成立した?(源平合戦→守護地頭→将軍)
  • 御恩と奉公とは、どんな関係?
  • 守護と地頭は、それぞれ何をする役?
① 源頼朝が挙兵し、弟義経が壇ノ浦で平氏を滅ぼした(1185)。同年守護・地頭を置き、1192年征夷大将軍に。鎌倉を拠点とする武士の政権ができた。
御恩=将軍が御家人の土地を守り手柄に土地を与える/奉公=御家人が忠誠を誓い命がけで戦う。土地と忠誠を交換する主従関係(封建制度)。
守護=国ごとの軍事・警察/地頭=荘園ごとの徴税・土地管理
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「御恩と奉公=土地で成り立つ」をしっかり押さえると、次のUnit 9で「元寇後になぜ幕府が傾いたか」が一発で分かります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 8 の進捗 📜 完全年表 鎌倉へ

Unit 9 — 鎌倉② 執権政治・元寇・文化

将軍の力が北条氏(執権)に移り、承久の乱で朝廷に勝つ。だが元寇で「勝ったのに恩賞が出せず」幕府は傾く。民衆にやさしい鎌倉新仏教も生まれる。

時代の見取り図

支配者は?将軍は名ばかり、実権は北条氏(執権政治)
経済の基盤御恩(土地)。だが元寇で土地を与えられず御家人が困窮。
対外関係元寇(モンゴル襲来)を2度撃退。だが恩賞なしで幕府衰退の原因に。
前からの変化承久の乱で武家政権>朝廷が確定。新しい仏教が民衆に広がる。
A 土地御恩=土地が前提。元寇は防衛戦で新しい土地が得られず、恩賞を出せない→御家人困窮→幕府不信。
B 武士武士の世が確立。承久の乱で朝廷に勝ち、武家政権が朝廷を上回る。御成敗式目で武士独自の法も。
C 権力将軍 → 北条氏(執権)へ実権が移る。承久の乱で「武家>朝廷」が決定的に
D 対外元寇(1274・1281)。フビライの元が2度襲来。撃退するが、これが幕府滅亡の遠因に。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 承久の乱で、後鳥羽上皇(朝廷)と幕府、勝ったのはどっちだと思う? その結果は?
    考えるヒントと答え
    幕府が圧勝。北条政子の演説で結束した御家人が上皇軍を破った。上皇は隠岐へ流され、京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視。「武家政権>朝廷」が決定的になった(縦糸C)。
  2. 元寇で日本は勝ったのに、なぜ幕府は弱くなったと思う?
    考えるヒントと答え
    元寇は防衛戦争なので、勝っても新しい土地(恩賞)が手に入らない。命がけで戦った御家人に「御恩」を返せず、不満が爆発。借金も増え、幕府への信頼が崩れた(縦糸A・B)。
  3. 鎌倉時代に「念仏を唱えるだけ」「座るだけ」の新しい仏教が次々生まれた。なぜ広まったと思う?
    考えるヒントと答え
    それまでの仏教は難しい修行や学問が必要で、貴族のものだった。新しい仏教は簡単な方法(念仏・題目・座禅)で誰でも救われると説いたので、武士や民衆に広まった。
執権政治 承久の乱(1221) 御成敗式目(1232) 元寇(1274・1281) 御家人の不満→幕府衰退
6Wでみる「承久の乱」(1221)
背景3代将軍源実朝が暗殺され源氏将軍が断絶。後鳥羽上皇は「今こそ倒幕の好機」と考えた。
何を上皇が執権北条義時の討伐を命じる院宣を出す。北条政子の名演説で御家人が結束。
結果幕府が圧勝。後鳥羽上皇は隠岐へ流される。京都に六波羅探題を置き朝廷を監視。
影響朝廷の力が決定的に弱まり、「武家政権>朝廷」が確定。幕府は西日本にも勢力を広げた。
6Wでみる「元寇」(1274 文永・1281 弘安)
背景モンゴルのフビライ=ハンが中国に元を建国し、日本に服属を要求。執権北条時宗が拒否。
何が元軍が2度襲来。集団戦法・「てつはう」(火薬兵器)に苦戦するが、防塁・武士の奮戦・暴風雨(神風)で撃退。
結果2度とも撃退に成功。しかし防衛戦のため新しい土地は得られなかった
影響命がけで戦った御家人に恩賞(土地)を与えられず、不満が爆発。借金も増え、徳政令(1297)も効果薄。幕府滅亡の引き金に。
元寇の前後 — 勝ったのに弱くなった幕府
強くなった(一時)
  • 北条氏(執権の権力)
  • 「武家>朝廷」の体制
弱くなった
  • 御家人(恩賞なし・借金・生活苦)
  • 御恩と奉公の信頼関係
  • 鎌倉幕府そのもの(→1333年滅亡)

承久の乱(1221)— 「朝廷 vs 幕府」の決着

6Wでみる「承久の乱」
誰が・いつ1221年、後鳥羽上皇が、源氏の将軍が絶えたのを機に、執権北条義時を討てと全国に命じた。
なぜ幕府に奪われた政治の実権を朝廷に取り戻すため。西国の武士や僧兵が味方すると期待した。
結果北条政子が御家人に「頼朝公の御恩は山より高く海より深い」と演説し結束。幕府軍19万が1か月で京都を占領し圧勝。後鳥羽上皇は隠岐(島根)、順徳上皇は佐渡、土御門上皇は土佐へ流罪。
影響①京都に六波羅探題を置き朝廷を監視 ②上皇側の土地3000か所を取り上げ、御家人を新補地頭に→幕府の支配が西国まで広がる ③朝廷と幕府の「二重支配」が終わり、幕府の優位が確定(縦糸C)。

執権政治のしくみ — 御成敗式目までの整備

いつ・誰何をポイント
1225 泰時(3代)評定衆を設置(有力御家人約11〜13人の合議)/連署(執権の補佐)執権1人の独裁ではなく合議制で運営
1232 泰時(3代)御成敗式目(貞永式目)51か条武士社会の慣習「道理」と頼朝以来の先例をもとにした、最初の武家法。守護・地頭の仕事、土地の相続(女性も相続OK・20年占有で所有)などを規定。公家には律令が適用され、式目は武士だけの法。のちの分国法・武家諸法度の手本に
1249 時頼(5代)引付衆を設置土地の裁判を速く公平に。御家人の信頼を集める

元寇(蒙古襲来)— 2回の違いを数字で

13世紀 チンギス=ハン
モンゴル帝国(1206〜)
孫のフビライが「元」を建国(1271)
高麗を従え、南宋を攻める
1268〜 日本に「従え」と国書
執権 北条時宗が無視・拒否
1274 文永の役 1281 弘安の役
文永の役(1274)弘安の役(1281)
元軍の規模元+高麗 約3万人・約900隻元+高麗+旧南宋 約14万人・4400隻(東路軍+江南軍)=世界史上最大級の艦隊
経路対馬・壱岐 → 博多湾に上陸博多湾に来たが石塁にはばまれ上陸できず、海上で2か月にらみ合い
元軍の戦い方集団戦法(日本は一騎打ち)・火薬の武器「てつはう」・毒矢
結末1日戦って元軍は船に戻り、暴風雨にあって撤退(補給不足・上陸困難も理由)台風で艦隊が壊滅、生き残りは3分の1以下
その後の備え博多湾沿いに石塁(防塁)約20km・高さ2〜3m(1276〜)/異国警固番役(九州の御家人が交代で警備)元は3度目を計画したが実行できず。幕府は警戒を続け鎮西探題を置く

「神風で勝った」は後の時代の物語

元軍が退いた理由は暴風雨だけではない。①文永の役は補給が続かず、上陸してもすぐ船に戻った ②弘安の役は石塁で上陸できず、御家人の夜襲で消耗していたところに台風。「神風」「神国」という考えは鎌倉時代の寺社が言い始め、昭和の戦争中に宣伝に使われた
👉 当時の様子を描いた国宝『蒙古襲来絵詞』は、肥後(熊本)の御家人竹崎季長が自分の手柄を幕府に訴えるために描かせたもの。てつはう・元軍の船・季長が鎌倉へ恩賞を求めに行く場面まで描かれている。長崎県鷹島の海底からは沈んだ元の軍船が見つかった(2011)。

承久の乱・元寇の場所マップ

赤=元寇、茶=承久の乱、緑=幕府の出先機関。

←元・高麗の艦隊は 対馬・壱岐 → 博多湾 へ 1 博多湾・石塁(福岡) 2 対馬・壱岐(長崎) 3 鷹島 沈没船(長崎) 4 京都・六波羅探題 5 隠岐(島根)後鳥羽上皇 6 佐渡(新潟)順徳上皇 7 鎌倉 ● 赤=元寇 ● 茶=承久の乱 ● 緑=幕府
  • 1博多湾 福岡県元軍の上陸地点。文永の役のあと約20kmの石塁を築き、弘安の役で上陸を防いだ。今も一部が残る
  • 2対馬・壱岐 長崎県元軍が最初に襲った島。住民が多く殺された
  • 3鷹島 長崎県松浦市弘安の役で台風にあった元の艦隊が沈んだ海。2011年に船体を発見、2012年 日本初の海底の国史跡
  • 4六波羅探題 京都承久の乱のあと設置。朝廷の監視と西国の統率
  • 5隠岐 島根県後鳥羽上皇の流刑地(のち後醍醐天皇も流される・Unit 10)
  • 6佐渡 新潟県順徳上皇の流刑地(のち日蓮も流される)
  • 7鎌倉 神奈川県幕府。北条政子の演説で御家人が結束(承久の乱)

「勝ったのに困る」— 元寇から幕府滅亡へ

元寇は防衛戦
奪った土地がない
御家人に恩賞(土地)を出せない
御恩と奉公が成り立たない
戦費+分割相続で御家人が借金・土地を手放す 1297 永仁の徳政令
借金帳消し・土地を無償で返させる
逆効果:誰も金を貸さなくなる
幕府の信用が落ちる
悪党の出現・後醍醐天皇の挙兵
1333 滅亡(Unit 10)

鎌倉時代の産業と経済

分野用語中身
農業二毛作同じ田で米(夏)と麦(冬)を作る。西日本から広まる
農業牛馬耕草木灰牛や馬に犂(すき)を引かせる/草や木を焼いた灰を肥料に
商業定期市(三斎市)寺社の門前や交通の要所で月3回開く市。『一遍上人絵伝』の備前福岡の市が有名
貨幣宋銭日宋貿易で入った中国の銅銭が流通。年貢を銭で納めることも
金融・運送借上(かしあげ)/問丸(といまる)高利貸し(御家人が借金)/港で年貢の保管・輸送を請け負う業者
手工業(ざ)商人・職人の同業組合。寺社や貴族に税を納めて営業を独占(室町で発達)

重要事件と年号

1221承久の乱人にふい(1221)打ち承久
1225評定衆(合議制)
1232御成敗式目(北条泰時)一文に(1232)まとめる式目・51か条
1249引付衆(北条時頼)
1268元の国書→時宗が拒否
1271フビライが「元」を建国
1274文永の役(元寇1)人になし(1274)文永
1276博多湾に石塁を築く
1281弘安の役(元寇2)人に敗(1281)れた元
1297永仁の徳政令
1333鎌倉幕府滅亡一味さんざん(1333)

「勝ったのに恩賞ゼロ」を1枚の絵に

元寇 = 防衛戦 = 取った土地がない = 御恩を返せない

映像にしよう👉 御家人が命がけで元軍を追い返した。だが戦いの後、幕府に恩賞を求めても「今回は外国を追い払っただけ。新しい土地がない」と言われ手ぶらで帰る。借金だけが残る——。
👉 武士は「土地(御恩)」で動く(Unit 8)。その土地が出せない=御恩と奉公が壊れる。これが「勝ったのに幕府が滅んだ」理由。因果でつなげば丸暗記不要。

重要人物

北条義時1163-12242代執権。承久の乱で後鳥羽上皇に勝利し、幕府の全国支配を固めた。
北条泰時1183-12423代執権。御成敗式目(1232)制定。
北条時頼1227-12635代執権。引付衆で裁判を速く公平に。禅宗を保護(建長寺)。
北条時宗1251-12848代執権。元の要求を拒否し元寇を退ける。34歳で死去。
竹崎季長1246-?肥後(熊本)の御家人。元寇で戦い、恩賞を求めて鎌倉へ。『蒙古襲来絵詞』を描かせる(国宝)。
一遍1239-1289時宗の開祖。踊念仏で全国を歩き布教。『一遍上人絵伝』に定期市の様子。
運慶・快慶12-13c仏師。東大寺南大門の金剛力士像(1203)。力強い写実。
後鳥羽上皇1180-1239承久の乱を起こすが敗北、隠岐へ流される。
フビライ=ハン1215-1294モンゴル帝国第5代。元を建国。日本に2度遠征。
法然1133-1212浄土宗。「南無阿弥陀仏」(専修念仏)。
親鸞1173-1262浄土真宗。「悪人正機」。法然の弟子。
日蓮1222-1282日蓮宗。「南無妙法蓮華経」。
栄西・道元12-13c禅宗。栄西=臨済宗、道元=曹洞宗。座禅で悟る。

鎌倉新仏教 ① 念仏・題目(民衆向け)

  • 浄土宗—法然—「南無阿弥陀仏」
  • 浄土真宗—親鸞—「悪人正機」
  • 時宗—一遍—踊念仏
  • 日蓮宗—日蓮—「南無妙法蓮華経」

鎌倉新仏教 ② 禅宗(武士向け)

  • 臨済宗—栄西—公案禅(謎問答)
  • 曹洞宗—道元—只管打坐(ただ座る)
  • 禅は武士の精神に合い広まった

この時代の文化(鎌倉文化)— 力強く写実的

建築・彫刻
  • 東大寺南大門金剛力士像(運慶・快慶)— 力強い写実彫刻
文学
  • 軍記物語:平家物語(琵琶法師)
  • 随筆:方丈記(鴨長明)・徒然草(吉田兼好)
  • 和歌集:新古今和歌集(藤原定家ら・後鳥羽上皇の命)
仏教
  • 鎌倉新仏教6宗派(上の比較表)— 簡単な方法で誰でも救われると説き、民衆に広がる
  • 建築:円覚寺舎利殿(鎌倉・禅宗様)/東大寺南大門(大仏様・重源)
  • 和歌:金槐和歌集(源実朝)/学問:金沢文庫(北条実時が集めた書庫・横浜)
  • 絵巻:『蒙古襲来絵詞』(竹崎季長)・『一遍上人絵伝』(定期市の様子)/似絵(肖像画・伝源頼朝像)
  • 学問:宋学(朱子学)が伝わる/武士の道徳「弓馬の道」

同時期の世界

鎌倉時代後半の世界はモンゴル帝国の最盛期。フビライが元を建国し中国全土を支配、ユーラシアの東西をつないだ(元寇もこの拡大の一部)。マルコ=ポーロが元を訪れ、日本を「黄金の国ジパング」とヨーロッパに紹介した。

1271フビライ 元を建国
1271-95マルコ=ポーロ東方旅行
1279元が南宋を滅ぼし中国統一
1299オスマン帝国 成立

📖 史料 — 御成敗式目(1232・北条泰時)

一、諸国の守護人奉行の事  右、大番催促・謀叛・殺害人…等の事なり。 一、…廿ケ年を過ぐれば…理非を論ぜず改替に能はず
出典:『御成敗式目』(貞永式目)51か条より
  1. hist-9-s1 この法を定めた執権は?
    北条泰時
  2. hist-9-s2 この御成敗式目はどんな人々のための法か?
    武士(御家人)のための法。武士の慣習をまとめた最初の本格的な武家法
  3. hist-9-s3 「廿ケ年を過ぐれば理非を論ぜず改替に能はず」が表す原則は?
    20年以上実際に支配した土地は、正当性に関係なく現状を認める(時効による土地の安堵)

よくある間違い

  • 「元寇で日本は領土を獲得した」→ ✗。防衛戦争なので新しい土地はなし。これが御家人不満の原因。
  • 「法然=浄土真宗、親鸞=浄土宗」→ ✗ 逆。法然=浄土宗、親鸞=浄土真宗(親鸞は法然の弟子)。
  • 「承久の乱で朝廷が勝った」→ ✗。幕府が圧勝し、上皇は隠岐へ流された。
  • 「文永の役が1281年、弘安の役が1274年」→ ✗。年号の小さい方が先:文永1274→弘安1281
  • 「神風だけで勝った」→ ✗。文永は補給不足で撤退、弘安は石塁で上陸を防いだうえで台風。
  • 「永仁の徳政令で御家人は救われた」→ ✗。逆効果で誰も金を貸さなくなり、幕府の信用が落ちた。
  • 「御成敗式目は全国民のための法」→ ✗。武士だけの法。公家には律令が適用された。
想起トレーニング:「元寇に勝ったのに、なぜ鎌倉幕府は傾いたのか」を説明してみよう
ヒント① 武士は何で動く?(Unit 8の復習)
武士は「御恩(土地)」で動く。手柄を立てれば土地がもらえるから命がけで戦う。…元寇では土地がもらえた?
ヒント② 元寇は何戦争?
防衛戦争。外国を追い払っただけなので、新しい土地が手に入らない。だから恩賞を出せない。…御家人はどうなる?
答え
元寇は防衛戦争で新しい土地が得られず、命がけで戦った御家人に恩賞(御恩=土地)を与えられなかった。御家人は借金が増えて生活が苦しくなり、幕府への不満が高まった。徳政令も効果が薄く、これが幕府滅亡の引き金になった。

📗 つまずき・誤答・テスト頻出パターン(Unit 9)

digitalkodomo「中学生の学習ノート」の整理を取り入れた節。上の本文を読んだあとに、どこで迷いやすいかテストでどう聞かれるかを確認する。

元寇 ── 2度の蒙古襲来

これだけは覚える 1274年 文永の役・1281年 弘安の役の2度。執権は北条時宗。元軍は集団戦法と火薬兵器(てつはう)防衛戦で領地が得られず、御家人は恩賞不足で困窮。1297年 永仁の徳政令は逆効果で、鎌倉幕府衰退の始まりとなった。

この章でつまずきやすいところ

文永の役と弘安の役の順番をひっくり返してしまう

つまずく場面本文に「1274年」と「1281年」が並んでいると、どちらが文永の役か弘安の役か分からなくなり、年号も役の名前も混ざってしまう場面。

克服のコツ時系列で覚えるとブレません。文永(1274)が先、弘安(1281)が後と、年号の小さい方が文永、大きい方が弘安、と数字の順序で押さえます。本文でも1274→1281の順に出てきます。

ミニ例本文の表で年号を見たら、「小さい数字=文永」「大きい数字=弘安」と先に確認してから読み進めると、執権 北条時宗の指揮した2度の流れが追いやすくなります。

「神風」だけで元軍に勝ったと思い込んでしまう

つまずく場面本文の「暴風雨で元軍が大損害」という一文だけを拾うと、台風さえ吹けば日本は勝てたかのように読めてしまい、防塁や御家人の戦いを軽く見てしまう場面。

克服のコツ因果関係を役ごとに分けて整理します。文永の役(1274)では補給の困難・日本側の抵抗・暴風雨で元軍が撤退し、弘安の役(1281)では博多湾の石塁(石築地)が加わって上陸を阻止し、海上での持久戦のさなかに暴風雨が直撃して損害が拡大しました。石塁は文永の役の後(1276年頃から)築かれた施設で、文永の役の時点ではまだ存在しません。教科書では「神風」だけが理由ではないと整理します。

ミニ例弘安の役では、博多湾の石塁で元軍は上陸できず、約2か月の海上停滞中に暴風雨が直撃した、という順番を押さえると因果が見えます。神風が単独で勝因なのではなく、防御施設と持久戦が前提にあったことが大切です。

勝ったのに御家人が困ったという流れがピンとこない

つまずく場面「日本は侵略を退けた」という文と「御家人は困窮した」という文が近くにあって、勝ったのになぜ不満が出るのか、本文を読みながら因果がつながらない場面。

克服のコツ因果関係を「土地」でつなぎます。御恩と奉公は、戦った御家人に土地を与えて成り立つ仕組みです。元寇は防衛戦なので新しい領地が手に入らず、幕府は恩賞として与える土地がなく、戦費だけが御家人の負担に残りました。

ミニ例承久の乱の後は没収地を恩賞にできたが、元寇は防衛戦のため新たな領地が手に入らなかった、という違いを押さえると、勝利=御家人の利益、ではないことが整理できます。

永仁の徳政令で御家人がすぐ救われたと読み違える

つまずく場面「困窮した御家人を救うため、幕府は永仁の徳政令を出した」という一文を読むと、これで御家人の不満が解消したかのように思ってしまい、その後の幕府衰退の流れがつながらなくなる場面。

克服のコツ因果関係で「逆効果」を押さえます。永仁の徳政令は御家人が手放した土地を無償で取り戻させ、御家人の借金についても帳消しとしたもので、土地の取り戻しが中心です。その結果、「貸しても返ってこない」と考えた人が御家人にお金を貸さなくなり、かえって御家人は苦しみ、幕府の権威も低下しました。教科書では結果として逆効果だったと整理します。

ミニ例本文の年号で見ると1297年に永仁の徳政令を出した後も御家人の不満は積み重なり、結果として1333年に鎌倉幕府が滅亡します。徳政令=解決、ではないと読み替えましょう。

みんなが間違える誤答

よくある誤答 元寇は台風だけで勝ったと答える

💡 ここがちがう 博多湾に築かれた石塁(防塁)や御家人の奮戦、さらに元軍側の遠征による補給難や内部の対立も、日本が元軍を退けた重要な要因だった。

正しい理解 元寇は元のフビライ・ハンが日本に服属を求め、鎌倉幕府が拒否したことで起きた対外戦争である。

よくある誤答 徳政令で借金が帳消しになり、御家人はすっかり助かったと答える

💡 ここがちがう その場では借金が消えても、貸す側が「また帳消しにされるかもしれない」と警戒してお金を貸さなくなったため、御家人はかえって生活に困り、幕府の権威も下がった。

正しい理解 永仁の徳政令は御家人を救うための政策だったが、金融を混乱させて、結果的に逆効果を生んだ。

よくある誤答 元寇の直後に幕府が滅んだと答える

💡 ここがちがう 元寇のあと、恩賞をもらえなかった御家人の不満が半世紀近くかけて積み重なり、後醍醐天皇の挙兵や足利尊氏の裏切りを経て1333年に幕府は滅亡した。

正しい理解 防衛戦で新しい領地を得られず、御家人への恩賞不足が幕府の弱体化を進めた。

テストで出る型と答え方

パターン1:年号と役名・順序を問う

📝 出題例 2度の元寇について、(1)1回目と2回目の役の名前と年号を答えなさい。(2)そのときの鎌倉幕府の執権は誰か、第何代目か答えなさい。

答え方 「1274=文永の役」「1281=弘安の役」をセットで覚える。役名は元号(文永・弘安)から取られていることを意識すると順序を間違えない。執権は北条時宗(第8代)。①役名→②年号→③人物の順で答えを書き出すとミスが減る。

⚠️ ありがちなミス 文永と弘安の順を入れ替えてしまうミス。「ぶ→こ=ぶんえいが先」と語呂で固定するとよい。

パターン2:戦法・装備の違いを比較する

📝 出題例 元軍が日本軍を苦しめた戦い方の特徴を2つあげなさい。また、日本側の武士の戦い方とどう違ったか説明しなさい。

答え方 答えの軸は2つ。①集団戦法②火薬兵器(てつはう)。日本側は一騎打ちが中心で苦戦した、と対比で書く。「元軍は〜、日本軍は〜」という比較の文型で答えると満点が取りやすい。

⚠️ ありがちなミス 「神風で勝った」とだけ書いて戦法の違いに触れ忘れるミス。設問が「戦法」を聞いている点を確認する。

パターン3:御家人の困窮の理由を記述させる

📝 出題例 元寇のあと、御家人が困窮した理由を、御恩と奉公のしくみにふれて説明しなさい。

答え方 「防衛戦だから新しい領土が得られない→恩賞として与える土地がない→戦費の負担だけが残る」という3ステップで書く。承久の乱の後は新領地を恩賞にできた点と比較すると説得力が増す。キーワードは「恩賞」「土地不足」「戦費・借金」。

⚠️ ありがちなミス 「元軍が強かったから」など戦闘の話に流れ、しくみ(土地で報いる仕組み)に触れないミス。

パターン4:永仁の徳政令の内容と結果を問う

📝 出題例 1297年に幕府が出した法令を答え、その目的と結果を簡潔に説明しなさい。

答え方 答えは永仁の徳政令(1297年)。書くべきは3点。①目的=御家人救済②内容=手放した土地を無償で取り戻させる・借金の帳消し③結果=誰もお金を貸さなくなり逆効果、幕府の権威も低下。「目的→内容→結果」の順で組み立てる。

⚠️ ありがちなミス 「徳政令で御家人が救われた」と結果を逆に書くミス。徳政令は逆効果だったと押さえる。

パターン5:資料(地図・絵巻)からの読み取り

📝 出題例 元寇に関する次の資料(博多湾の地図と石塁・蒙古襲来絵詞)を見て、幕府がとった防衛策を2つあげ、それぞれの目的を説明しなさい。

答え方 資料から読み取る2点は、①博多湾沿いの石塁(防塁)の構築②異国警固番役による沿岸警備。目的は「元軍の上陸を防ぐ/再侵攻に備えて九州沿岸を常時警備する」。御家人だけでなく非御家人にも役を課した点を書ければ加点が狙える。

⚠️ ありがちなミス 石塁を「お城の堀」と勘違いしたり、異国警固番役を御家人だけの役と誤答するミス。

テスト前の総仕上げ 元寇は「年号+人物+因果」がワンセット。1274・1281、北条時宗、神風だけでなく恩賞不足→永仁の徳政令→幕府衰退の流れを一本の線でつなげて答えられるように準備しよう。

違い辞典 — 混同しやすい3ペアを表で
文永の役と弘安の役の違い
比べる軸文永の役弘安の役
起きた年1274年1281年
元軍の構成元・高麗(こうらい)連合軍元・高麗・南宋(なんそう)の連合軍
兵力約3万人、軍船 約900隻14万人以上、軍船 4,000隻以上
戦いの経過博多湾に上陸し、一夜で撤退防塁(石塁)で上陸を阻止、2か月以上にらみ合い
日本側の防御防塁(石塁)はまだなく、武士の一騎打ち中心で苦戦博多湾の防塁(石塁)+夜襲で元の船を攻撃
終わり方撤退中の暴風雨で多数の船が沈没大型台風(神風)で元軍は壊滅、多くの船と兵を失った
規模の特徴本格的な襲来の第一波世界史上最大級の侵略軍
日本軍と元軍の戦い方の違い
比べる軸日本軍(武士)元軍
基本の戦法一騎打(いっきう)ち中心集団戦法
武器の特徴弓矢・刀など従来の武器火薬兵器(てつはう)を使用
戦う目的国土の防衛服属させるための侵略
戦場での立場九州北部で迎え撃つ防御側対馬・壱岐(いき)を経て上陸する攻撃側
得られるもの防衛戦のため新しい領地は得られない成功すれば日本の支配権
弘安の役での作戦上の工夫博多湾の防塁(石塁)+夜襲で船を攻撃東路軍と江南軍の2軍を合流させる大軍編成
承久の乱と元寇の恩賞のちがい
比べる軸承久の乱元寇
戦いの性格国内の戦い(朝廷との対立)対外戦争(防衛戦)
勝敗の結果幕府が勝利幕府が勝利(2度とも元軍を撃退)
新しい領地朝廷方の没収地が確保できた防衛戦のため新しい領地は得られない
御家人への恩賞多くの御家人に土地が行き渡った恩賞として与える土地が不足
御家人の負担勝利で得をした戦費・装備で借金、土地を売る者も
幕府への影響幕府の支配を強化御家人の不満で幕府の権威が低下
幕府のその後の策六波羅探題(ろくはらたんだい)などで体制強化1297年の永仁(えいにん)の徳政令(逆効果)
解き方の手順 — 5ステップ
  1. 背景を確認する

    まず「いつ・誰が・なぜ攻めてきたか」を押さえます。13世紀、モンゴル帝国のフビライ・ハンが中国を支配して国名をとし、高麗を従えて日本にも服属を求めました。これを拒否したのが鎌倉幕府の第8代執権北条時宗です。ここまでが元寇の前提です。

    例題:例:「元寇の原因は?」と聞かれたら、フビライ・ハンの服属要求北条時宗の拒否の2つをセットで答えます。

  2. 2度の戦いを年号と特徴で区別する

    文永の役(1274年)弘安の役(1281年)を表のように整理します。文永は元・高麗の連合軍 約3万人が博多湾に上陸。弘安は元・高麗の東路軍(約4万人)旧南宋の降兵を中心とする江南軍(約10万人)を合わせた約14万人という、当時としては大規模な兵力でした。どちらも暴風雨(神風)で元軍が大損害を受けた、という共通点も押さえます。

    例題:例:「弘安の役は何年?」→1281年。「兵力が大きかったのはどちら?」→弘安の役(約14万人)。

  3. 戦い方の違いを比較する

    日本の武士は一騎打ち(いっきうち)中心だったのに対し、元軍は集団戦法火薬兵器(てつはう)を使い、日本軍は苦戦しました。文永の役の後、幕府は弘安の役に備えて博多湾沿岸に石塁(防塁)を築かせ異国警固番役(いこくけいごばんやく)を制度化して再侵攻に備えた、という対策もセットで覚えます。

    例題:例:「元軍が日本軍を苦しめた戦法を2つ」→①集団戦法、②火薬兵器(てつはう)

  4. 結果と御家人の困窮をつなげる

    ここが一番のポイントです。元寇は防衛戦だったため、勝っても新しい領土が手に入りません。承久の乱では朝廷方から没収した土地を御家人に恩賞として与えることができましたが、元寇は外敵を防いだだけで恩賞として与える土地がなく、御家人は戦費・装備で借金を負って困窮しました。

    例題:例:「なぜ御家人は不満を持ったか」→命がけで戦ったのに、防衛戦で土地が得られず、十分な恩賞をもらえなかったから。

  5. 影響を後の時代までつなぐ

    幕府は1297年に永仁の徳政令を出し、御家人が手放した土地を無償で取り戻させ、御家人を相手とする金銭貸借の訴えを受け付けないこととしました。しかし誰も御家人にお金を貸さなくなり逆効果に終わり、幕府の権威は低下。御家人の不満が積み重なり、約半世紀後の1333年に鎌倉幕府は滅亡します。

    例題:例:「永仁の徳政令の結果は?」→逆効果で御家人はかえって苦しみ、幕府の権威も下がった

この章のまとめ
  • 13世紀、モンゴル帝国の フビライ・ハンが中国を支配して を建国。日本に従属を求めた。
  • 執権 北条時宗がこれを拒否し、1274年文永の役・1281年弘安の役の2度の元寇が起きた。
  • 2回とも、暴風雨(神風)もあって元軍は撤退・壊滅。
  • しかし防衛戦だったため 領土が得られず、御家人は恩賞をもらえず困窮。
  • 1297年の 永仁の徳政令は逆効果で、幕府の権威は低下。鎌倉幕府衰退の始まり。

練習問題 — Unit 9

  1. hist-9-q1 北条氏が握った、将軍を補佐する役職は?
    執権(執権政治)
  2. hist-9-q2 1221年、後鳥羽上皇が倒幕を企てた事件は?
    承久の乱
  3. hist-9-q3 承久の乱で御家人を結束させた、頼朝の妻は?
    北条政子
  4. hist-9-q4 承久の乱の結果、京都に置かれた朝廷監視の機関は?
    六波羅探題
  5. hist-9-q5 承久の乱で隠岐へ流された上皇は?
    後鳥羽上皇
  6. hist-9-q6 1232年、北条泰時が定めた武士のための法は?
    御成敗式目(貞永式目)
  7. hist-9-q7 1274・1281年のモンゴル襲来をまとめて何という?
    元寇(文永の役・弘安の役)
  8. hist-9-q8 元寇のときの執権は?
    北条時宗
  9. hist-9-q9 元寇のときの元(モンゴル)の指導者は?
    フビライ=ハン
  10. hist-9-q10 元軍が使った火薬の武器は?
    てつはう
  11. hist-9-q11 1297年、御家人救済のため幕府が出した法は?
    永仁の徳政令
  12. hist-9-q12 「南無阿弥陀仏」を唱える浄土宗の開祖は?
    法然
  13. hist-9-q13 「悪人正機」を説いた浄土真宗の開祖は?
    親鸞
  14. hist-9-q14 「南無妙法蓮華経」を唱える日蓮宗の開祖は?
    日蓮
  15. hist-9-q15 臨済宗・曹洞宗の開祖をそれぞれ答えよ。
    臨済宗=栄西/曹洞宗=道元
  16. hist-9-q16 東大寺南大門の金剛力士像を作った仏師2人は?
    運慶・快慶
  17. hist-9-q17 鴨長明・吉田兼好の随筆をそれぞれ答えよ。
    鴨長明=方丈記/吉田兼好=徒然草
  18. hist-9-q18 鎌倉幕府が滅亡したのは何年?
    1333年
  19. hist-9-q19 入試頻出承久の乱の歴史的意義は?
    朝廷の力が決定的に弱まり、「武家政権>朝廷」が確定した
  20. hist-9-q20 入試頻出元寇に勝ったのに鎌倉幕府が傾いた理由は?
    防衛戦争で新しい土地が得られず、御家人に恩賞を与えられなかったから。御家人は生活が苦しくなり幕府への不満が高まった
  21. hist-9-q21 入試頻出承久の乱を起こした上皇と、そのときの執権は?
    後鳥羽上皇/2代執権北条義時
  22. hist-9-q22 承久の乱で御家人を結束させた北条政子の演説の要点は?
    頼朝公の御恩は山より高く海より深い」— 御恩に報いよ
  23. hist-9-q23 入試頻出承久の乱のあと、幕府の支配はどこまで広がったか?その手段は?
    西国まで。上皇側の土地を取り上げ、御家人を新補地頭として置いた
  24. hist-9-q24 入試頻出御成敗式目は何か条で、何を基準に作られたか?
    51か条/武士社会の慣習「道理」と頼朝以来の先例
  25. hist-9-q25 御成敗式目は誰に適用される法か?のちの時代の何の手本になったか?
    武士だけ(公家は律令)/戦国大名の分国法・江戸の武家諸法度
  26. hist-9-q26 北条泰時が置いた、有力御家人による合議の機関は?
    評定衆(1225)
  27. hist-9-q27 北条時頼が置いた、裁判を速く公平にするための機関は?
    引付衆(1249)
  28. hist-9-q28 フビライ=ハンが1271年に建てた国と、モンゴル帝国を築いた祖父は?
    チンギス=ハン
  29. hist-9-q29 文永の役と弘安の役の元軍の規模をそれぞれ。
    文永=約3万人・900隻/弘安=約14万人・4400隻
  30. hist-9-q30 元軍が最初に襲った島と、上陸した湾は?
    対馬・壱岐博多湾
  31. hist-9-q31 入試頻出文永の役のあと、幕府が博多湾沿いに築いた防御施設と、九州の御家人に課した警備は?
    石塁(防塁)異国警固番役
  32. hist-9-q32 入試頻出弘安の役で元軍が上陸できなかった理由と、最終的に壊滅した理由は?
    石塁で上陸をはばまれ、海上で2か月にらみ合ううちに台風に襲われた
  33. hist-9-q33 元寇の様子を描いた国宝の絵巻と、描かせた御家人は?
    蒙古襲来絵詞』/竹崎季長(肥後)
  34. hist-9-q34 弘安の役で沈んだ元の軍船が海底から見つかった長崎県の島は?
    鷹島(2011年発見・日本初の海底の国史跡)
  35. hist-9-q35 入試頻出元寇のあと御家人が貧しくなった理由を2つ。
    ①防衛戦で恩賞の土地がもらえなかった ②戦費の負担と分割相続で土地が細分化
  36. hist-9-q36 入試頻出永仁の徳政令の内容と、その結果は?
    御家人が手放した土地を無償で取り戻させ、借金を帳消しにした→誰も金を貸さなくなり逆効果
  37. hist-9-q37 入試頻出鎌倉時代に西日本から広まった、米と麦を同じ田で作る農法は?
    二毛作
  38. hist-9-q38 鎌倉時代の肥料と、牛馬を使った耕作をそれぞれ何という?
    草木灰牛馬耕
  39. hist-9-q39 月に3回開かれた市を何という?
    定期市(三斎市)。『一遍上人絵伝』に備前福岡の市
  40. hist-9-q40 鎌倉時代に流通した中国の貨幣と、御家人に金を貸した業者は?
    宋銭借上(かしあげ)
  41. hist-9-q41 鎌倉時代に宋から伝わった建築様式で、円覚寺舎利殿に見られるものは?
    禅宗様
  42. hist-9-q42 北条実時が横浜に開いた書庫は?
    金沢文庫
  43. hist-9-q43 踊念仏で布教した時宗の開祖は?
    一遍
  44. hist-9-q44 東大寺南大門の金剛力士像を作った2人と、その特徴は?
    運慶・快慶/力強く写実的
  45. hist-9-q45 入試頻出鎌倉幕府が「朝廷と幕府の二重支配」から「幕府の優位」に変わったきっかけの事件は?
    承久の乱(1221)
  46. hist-9-q46 入試頻出北条氏の執権のうち、承久の乱・御成敗式目・元寇のときの執権をそれぞれ。
    承久の乱=義時/御成敗式目=泰時/元寇=時宗
  47. hist-9-q47 入試頻出2度の元寇について、(1)1回目と2回目の役の名前と年号を答えなさい。(2)そのときの鎌倉幕府の執権は誰か、第何代目か答えなさい。
    「1274=文永の役」「1281=弘安の役」をセットで覚える。役名は元号(文永・弘安)から取られていることを意識すると順序を間違えない。執権は北条時宗(第8代)。①役名→②年号→③人物の順で答えを書き出すとミスが減る。 ⚠️ 文永と弘安の順を入れ替えてしまうミス。「ぶ→こ=ぶんえいが先」と語呂で固定するとよい。
  48. hist-9-q48 入試頻出元軍が日本軍を苦しめた戦い方の特徴を2つあげなさい。また、日本側の武士の戦い方とどう違ったか説明しなさい。
    答えの軸は2つ。①集団戦法②火薬兵器(てつはう)。日本側は一騎打ちが中心で苦戦した、と対比で書く。「元軍は〜、日本軍は〜」という比較の文型で答えると満点が取りやすい。 ⚠️ 「神風で勝った」とだけ書いて戦法の違いに触れ忘れるミス。設問が「戦法」を聞いている点を確認する。
  49. hist-9-q49 入試頻出元寇のあと、御家人が困窮した理由を、御恩と奉公のしくみにふれて説明しなさい。
    「防衛戦だから新しい領土が得られない→恩賞として与える土地がない→戦費の負担だけが残る」という3ステップで書く。承久の乱の後は新領地を恩賞にできた点と比較すると説得力が増す。キーワードは「恩賞」「土地不足」「戦費・借金」。 ⚠️ 「元軍が強かったから」など戦闘の話に流れ、しくみ(土地で報いる仕組み)に触れないミス。
  50. hist-9-q50 入試頻出1297年に幕府が出した法令を答え、その目的と結果を簡潔に説明しなさい。
    答えは永仁の徳政令(1297年)。書くべきは3点。①目的=御家人救済②内容=手放した土地を無償で取り戻させる・借金の帳消し③結果=誰もお金を貸さなくなり逆効果、幕府の権威も低下。「目的→内容→結果」の順で組み立てる。 ⚠️ 「徳政令で御家人が救われた」と結果を逆に書くミス。徳政令は逆効果だったと押さえる。
  51. hist-9-q51 入試頻出元寇に関する次の資料(博多湾の地図と石塁・蒙古襲来絵詞)を見て、幕府がとった防衛策を2つあげ、それぞれの目的を説明しなさい。
    資料から読み取る2点は、①博多湾沿いの石塁(防塁)の構築②異国警固番役による沿岸警備。目的は「元軍の上陸を防ぐ/再侵攻に備えて九州沿岸を常時警備する」。御家人だけでなく非御家人にも役を課した点を書ければ加点が狙える。 ⚠️ 石塁を「お城の堀」と勘違いしたり、異国警固番役を御家人だけの役と誤答するミス。

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 9)

3つを声に出して。

  • 承久の乱で何が決まった?
  • 元寇に勝ったのに、なぜ幕府が傾いた?
  • 鎌倉新仏教はなぜ民衆に広まった?
① 幕府が後鳥羽上皇に圧勝し、「武家政権>朝廷」が確定。六波羅探題で朝廷を監視。
② 元寇は防衛戦争で新しい土地が得られず、命がけで戦った御家人に恩賞(土地)を出せなかった。御家人が困窮・不満を募らせ、幕府滅亡の引き金に。
念仏・題目・座禅という簡単な方法で誰でも救われると説いたから。難しい修行が要らず、武士や民衆に広まった。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「御恩と奉公(Unit 8)→元寇で土地が出せない(Unit 9)→幕府滅亡」の因果は入試頻出。1本の線でつなぎましょう。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 9 の進捗 📜 完全年表 鎌倉へ

Unit 10 — 室町① 幕府・南北朝・勘合貿易

鎌倉滅亡→建武の新政の失敗→南北朝の動乱→足利氏の室町幕府。3代足利義満が南北朝を統一し、勘合貿易で巨利を得て全盛期を築く。

時代の見取り図

支配者は?室町幕府の将軍(足利氏)と、各地の守護大名
経済の基盤勘合貿易(日明貿易)の利益。明銭が流通。
対外関係明と勘合貿易、倭寇の取締。琉球は中継貿易で繁栄。
前からの変化鎌倉の質素な武家政権 → 守護大名が国を支配する分権的な体制へ。
A 土地守護が国の土地・武士を支配し守護大名へ成長。荘園は守護に侵食されていく。
B 武士守護が一国を治める守護大名に成長。武士の支配がさらに広く深くなる。
C 権力将軍(足利義満)が全盛だが、地方の守護大名が強く、中央集権が弱い。これが後の戦乱の種に。
D 対外勘合貿易(日明貿易)。義満が「日本国王」として明と貿易。倭寇と正規船を勘合で区別。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 後醍醐天皇の「建武の新政」は2〜3年で失敗した。なぜだと思う?
    考えるヒントと答え
    天皇は公家(貴族)を重視し、武士を冷遇した。鎌倉幕府を倒すのに活躍した武士たちが「恩賞が少ない」と不満を持ち離反。足利尊氏が背いて新政は崩れた(縦糸C=武士を無視した政治は続かない)。
  2. 足利義満はなぜ「勘合」という合い札を使って貿易したと思う?
    考えるヒントと答え
    当時、倭寇という海賊が暴れていた。明は「正規の貿易船」と「倭寇」を区別したかった。そこで勘合(割符)を持つ船だけを正式な貿易船と認めた(縦糸D)。
  3. 室町幕府は、鎌倉幕府と比べて将軍の力が強い?弱い?
    考えるヒントと答え
    弱い。地方の守護大名が一国を実効支配して力をつけたため、将軍が全国を抑えきれなかった。この「中央の弱さ」が、のちの応仁の乱・戦国時代につながる(縦糸C)。
鎌倉滅亡(1333) 建武の新政(失敗) 南北朝の動乱 室町幕府(1338) 義満:南北朝合一・勘合貿易
6Wでみる「建武の新政の失敗」(1334-36)
背景元寇後の不満で鎌倉幕府が滅亡(1333)。後醍醐天皇が天皇親政(建武の新政)を始めた。
なぜ失敗公家を重視し武士を冷遇。倒幕に活躍した武士の不満が爆発。
結果足利尊氏が離反し、1336年に新政は崩壊。京都に北朝(尊氏が立てた)、吉野に南朝(後醍醐)が並ぶ南北朝の動乱へ。
影響尊氏が1338年室町幕府を開く。約60年の南北朝は1392年に義満が統一。

鎌倉幕府の滅亡と建武の新政 — 「だれが・どこを攻めたか」

出来事人物・場所
1324/1331正中の変/元弘の変=後醍醐天皇の倒幕計画が発覚後醍醐天皇は隠岐(島根)へ流罪。皇子の護良親王が各地に挙兵を呼びかける
1333楠木正成が河内の千早城で幕府の大軍を釘づけに/後醍醐天皇が隠岐を脱出悪党(幕府に従わない新興武士)の力
1333足利尊氏が幕府を裏切り、京都の六波羅探題を攻め落とす尊氏の第1の転換(幕府側→天皇側)
1333新田義貞鎌倉を攻め、北条高時ら一族が自害 → 鎌倉幕府滅亡約140年(1185〜1333)の幕府が終わる
1334〜36建武の新政:後醍醐天皇の天皇親政。記録所を復活公家を重んじ、武士の恩賞が不公平→2年余りで武士の不満が爆発(「二条河原の落書」)
1336尊氏が新政に背き、京都で光明天皇(北朝)を立てる/建武式目(幕府の基本方針)尊氏の第2の転換(天皇側→自分の幕府)。後醍醐は吉野(奈良)へ=南朝
1338尊氏が北朝から征夷大将軍に任命 → 室町幕府「幕府を開いた年」は1336(建武式目)と1338(将軍任命)の2説

足利尊氏の「2回の寝返り」を映像で

1回目(1333)幕府を裏切って天皇へ/2回目(1336)天皇を裏切って自分の幕府へ

映像にしよう👉 ①幕府から「後醍醐を討て」と京都へ送られた尊氏が、途中でくるっと向きを変えて六波羅探題を攻める。②新政で冷遇された武士たちが尊氏の屋敷に集まり、尊氏がもう一度くるっと向きを変えて後醍醐に反旗。「くるっ・くるっ」の2回転で覚える。

南北朝の動乱(1336〜92・56年間)— 京都 vs 吉野

北朝(京都)

  • 足利尊氏が立てた光明天皇ら(持明院統)
  • 室町幕府が支える
  • 「北」=京都が吉野より北にあるから(日本列島の北ではない)

南朝(吉野)

  • 後醍醐天皇ら(大覚寺統)。奈良県南部の山中
  • 楠木正成(1336 湊川で戦死)・新田義貞らが支える
  • 1392年、3代義満が南朝の後亀山天皇を説得し合一

南北朝の争いは全国の武士を巻き込み、武士は有利な側につくため何度も寝返った。この混乱の中で守護が国内の武士をまとめて力を強め、守護大名へ成長した(半済令=荘園の年貢の半分を守護が取ってよい、1352)。

室町幕府のしくみ — 鎌倉との違いは「管領」と「鎌倉府」

将軍(足利氏) 管領(かんれい)=将軍の補佐 三管領:細川・斯波・畠山 が交代で 侍所 長官=四職(赤松・一色・山名・京極) 政所 財政 問注所 記録・裁判 ▼ 地方 鎌倉府(関東10か国を支配) 長官=鎌倉公方(尊氏の子孫・足利氏) 補佐=関東管領(上杉氏) → しばしば幕府と対立 守護大名(各国) 国内の武士を家来にし、年貢の半分を取る(半済) → 幕府は守護大名の連合政権のようなもの 将軍の力は弱い(義満のときだけ強い) ⚠ 鎌倉幕府の「執権(北条氏)」に対し、室町幕府は「管領(細川・斯波・畠山)」。九州には九州探題。

「室町」は京都市内の通りの名前。3代義満が室町通に建てた御所「花の御所」から時代名がついた(関東の地名ではない)。

足利義満 — 室町幕府の絶頂を作った3つの業績+α

業績ポイント
1392南北朝の合一南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇へ三種の神器を渡させ、56年の分裂を終える
1394太政大臣武士としては平清盛に次いで2人目。将軍を子にゆずった後も実権を握る
1397金閣(鹿苑寺)京都北山の別荘。3層で金箔。公家風+武家風+禅宗様の融合=北山文化。1994年 世界遺産
1404勘合貿易(日明貿易)開始明の皇帝から「日本国王」と認められ、勘合(割り符)で倭寇と区別。輸入=明銭(永楽通宝)・生糸・絹織物/輸出=刀・銅・硫黄・扇。幕府の大きな財源
有力守護大名を抑える山名氏(明徳の乱 1391)・大内氏(応永の乱 1399)を討ち、将軍権力を強化

室町時代の外交 — 明・朝鮮・琉球・蝦夷地

相手いつ中身
明(中国)1368建国/1404〜貿易元を倒して漢民族のが成立。倭寇(対馬・壱岐・松浦などを根拠地にした海賊。前期は日本人主体)の取り締まりを求め、義満が応じて勘合貿易。のち貿易の実権は細川氏(堺)大内氏(博多)
朝鮮1392建国李成桂が高麗を倒して朝鮮(李氏朝鮮)を建国。日本は対馬の宗氏を通じて貿易。輸入=木綿・仏教の経典。ハングルが作られたのもこのころ(1446)
琉球王国1429尚巴志が沖縄本島の3つの国(北山・中山・南山)を統一。首里城。明・日本・朝鮮・東南アジアを結ぶ中継貿易で栄える
蝦夷地(北海道)1457アイヌの人々と本州の和人が交易(津軽の十三湊、安藤氏)。和人の圧迫に対しアイヌの首長コシャマインが蜂起→鎮圧した蠣崎氏(のちの松前氏)が支配

室町時代前半の重要な場所マップ

赤=南北朝・幕府、茶=貿易・外交、緑=周辺の国々。

1 京都(北朝・幕府) 2 吉野(南朝) 3 鎌倉府 4 隠岐(後醍醐の流刑地) 5 堺(細川氏の貿易港) 6 博多(大内氏の貿易港) 7 対馬(宗氏・朝鮮貿易) 8 琉球王国 1429 9 十三湊(青森)アイヌとの交易 10 蝦夷地 コシャマイン 1457 ● 赤=南北朝・幕府 ● 茶=貿易 ● 緑=周辺 ←明(勘合貿易)/←朝鮮(木綿・経典)
  • 1京都 京都府北朝の都。室町通の花の御所(幕府)、北山の金閣
  • 2吉野 奈良県南部南朝の本拠。京都から直線で60〜70km
  • 3鎌倉府 神奈川県関東を治める幕府の出先。鎌倉公方+関東管領(上杉氏)
  • 4隠岐 島根県1332年 後醍醐天皇が流され、翌年脱出(後鳥羽上皇と同じ島)
  • 5 大阪府細川氏が勘合貿易の拠点に。のち会合衆による自治都市(Unit 11)
  • 6博多 福岡県大内氏の貿易港。年行司による自治
  • 7対馬 長崎県宗氏が朝鮮との貿易を仲介。倭寇の根拠地にもなった
  • 8琉球王国 沖縄県1429年 尚巴志が統一。首里城。中継貿易
  • 9十三湊 青森県安藤氏が蝦夷地との交易で栄えた港
  • 10蝦夷地 北海道1457年 アイヌの首長コシャマインが和人に対して蜂起

義満のあと — 6代 義教の「くじ引き将軍」と嘉吉の乱

6代将軍足利義教(よしのり)はくじ引きで選ばれた。強引な政治で守護大名を弾圧し、鎌倉公方も滅ぼした(永享の乱 1438)が、1441年 嘉吉の乱で守護赤松満祐に暗殺された。将軍が家臣に殺されたことで幕府の権威は大きく傷つき、同年に「嘉吉の徳政一揆」が起き、8代義政の時代の応仁の乱(1467)へ向かう。

重要事件と年号

1331元弘の変(後醍醐→隠岐へ)
1333鎌倉幕府滅亡一味さんざん(1333)・尊氏が六波羅、義貞が鎌倉
1334建武の新政(後醍醐天皇)2年余りで失敗
1336建武式目・南北朝の分裂北朝=京都/南朝=吉野
1338室町幕府成立(足利尊氏)いざ都(13)へ三八(38)
1368明の建国(元がほろぶ)
1392南北朝の合一(足利義満)同年 朝鮮(李成桂)建国
1397金閣(義満・北山)
1404勘合貿易(日明貿易)開始意志を(14)おし(04)て明へ
1429琉球王国の成立(尚巴志)
1441嘉吉の乱(義教 暗殺)
1457コシャマインの戦い(蝦夷地)

「勘合=海賊と区別する合い札」を映像で

勘合貿易 = 正規船は「割り札(勘合)」を持つ/ 持たない船=倭寇(海賊)

映像にしよう👉 明の港で役人が、来た船に「割り札(勘合)を見せろ」と言う。札がピタリと合えば「正規の貿易船、通ってよし」。札がなければ「倭寇(海賊)だ、追い返せ」。
👉「勘合=海賊と本物を見分けるための合い札」。だから別名日明貿易(相手は明)。義満は明から「日本国王」と認められて貿易した。

重要人物

後醍醐天皇1288-1339鎌倉幕府を倒し建武の新政。武士を冷遇して失敗、吉野の南朝へ。
楠木正成?-1336河内の悪党出身。千早城で幕府軍を釘づけにし倒幕に貢献。南朝側として湊川の戦いで尊氏に敗れ戦死。
新田義貞1301-1338上野(群馬)の御家人。1333年鎌倉を攻め落とし幕府を滅ぼす。南朝側で戦死。
護良親王1308-1335後醍醐天皇の皇子。各地に倒幕の挙兵を呼びかけた。のち尊氏と対立し殺される。
足利尊氏1305-1358後醍醐に背き北朝を立て、1338年室町幕府を開く。
足利義満1358-14083代将軍。南北朝合一(1392)・金閣勘合貿易。室町幕府の全盛期。
足利義教1394-14416代将軍(くじ引きで選ばれる)。守護大名を弾圧し、1441年嘉吉の乱で赤松満祐に暗殺される→幕府の権威失墜。
李成桂1335-14081392年、高麗を倒して朝鮮を建国。日本とは対馬の宗氏を通じて貿易。
コシャマイン?-1457蝦夷地(北海道)のアイヌの首長。和人の圧迫に対し1457年に蜂起。蠣崎氏に鎮圧される。
尚巴志1372-1439琉球王国を統一(1429)。中継貿易で繁栄。

なぜ琉球(沖縄)は「中継貿易」で栄えた?

琉球(沖縄)は、日本・中国・朝鮮・東南アジアのちょうど真ん中に位置する。自国の産物は少なくても、各地の品を「買って別の国に売る(中継貿易)」ことで栄えた。地理的な位置がそのまま経済の強みになった例。アイヌは蝦夷地(北海道)で交易を行った。

この時代の文化(北山文化=足利義満期)

  • 建築:金閣(鹿苑寺・公家風+武家風+禅宗様の融合)
  • 芸能:能・狂言(観阿弥・世阿弥。世阿弥『風姿花伝』)
  • 特徴:公家文化と武家文化の融合+禅宗の影響
  • ※民衆文化や東山文化は次のUnit 11で

同時期の世界

室町時代の初め、中国では元が倒れ明(1368)が成立、朝鮮では李氏朝鮮(1392)が建国された。義満の勘合貿易の相手はこの明。ヨーロッパではルネサンスが始まり、英仏は百年戦争を戦っていた。

1339英仏百年戦争 開始
1368明 建国(朱元璋)
1392李氏朝鮮 成立
14c-ルネサンス(イタリア)

📖 史料 — 足利義満への明の国書(勘合貿易)

爾(なんじ)日本国王 源道義(足利義満)、…遠く朝貢を脩(おさ)む。… 今、使を遣はして…大統暦を班示し、正朔を奉ぜしむ
出典:明から義満への国書(『善隣国宝記』)。義満は「日本国王」として明に朝貢する形をとった
  1. hist-10-s1 明は足利義満を何と呼んでいるか?
    日本国王
  2. hist-10-s2 義満はなぜ、明に「朝貢」する形をとってまで貿易したのか?
    明との貿易で巨大な利益(幕府の財源)が得られたから。へりくだっても経済的利益を優先した

よくある間違い

  • 「足利尊氏が南朝」→ ✗。尊氏は北朝を立てた。後醍醐天皇が南朝
  • 「室町幕府は鎌倉幕府より将軍が強い」→ ✗。守護大名が強く、将軍の力は弱め
  • 「勘合貿易の相手は宋」→ ✗。相手は(日明貿易)。宋は平清盛の日宋貿易(Unit 7)。
  • 「室町は関東の地名」→ ✗。京都市内の通りの名前(花の御所)。
  • 「南北朝の南北は日本列島の南と北」→ ✗。京都(北朝)と吉野(南朝)。どちらも近畿。
  • 「室町幕府の将軍の補佐役は執権」→ ✗。執権は鎌倉。室町は管領(細川・斯波・畠山)。
  • 「倭寇は中国人の海賊」→ △。前期倭寇は日本人が主体(後期は中国人が多い)。勘合は倭寇と正規の船を区別するため。
想起トレーニング:「建武の新政はなぜ失敗したか」を説明してみよう
ヒント① 誰を重視し、誰を冷遇した?
後醍醐天皇は公家を重視し、武士を冷遇した。…倒幕で活躍したのは誰だった?
ヒント② 不満を持った武士は?
倒幕に活躍した武士が「恩賞が少ない」と不満。代表格の足利尊氏が離反した。
答え
後醍醐天皇が公家を重視して武士を冷遇したため、倒幕に活躍した武士の不満が高まり、足利尊氏が離反して2〜3年で崩壊した。武士を無視した政治は続かない、という教訓。

📗 つまずき・誤答・テスト頻出パターン(Unit 10)

digitalkodomo「中学生の学習ノート」の整理を取り入れた節。上の本文を読んだあとに、どこで迷いやすいかテストでどう聞かれるかを確認する。

室町幕府と南北朝 ── 動乱の世

これだけは覚える 1333鎌倉滅亡 → 建武の新政(2年で失敗)→ 1338尊氏が室町幕府(征夷大将軍)→ 南北朝(北朝=京都/南朝=吉野)→ 1392義満で合一 → 勘合貿易・金閣 → 1467応仁の乱 → 戦国時代。この一本道で年号と人物を結びます。

この章でつまずきやすいところ

1. 「室町」を関東の地名と思い込んでしまう

つまずく場面「鎌倉幕府=鎌倉(関東)」と覚えていると、流れで「室町幕府=関東のどこか」と勘違いし、地図で「室町」を探してしまう。

克服のコツ「室町」は 京都市内の通りの名前。京都市の今出川通と室町通の周辺に、将軍の御所「花の御所」があった、と位置で覚える。教科書では「京都の室町に幕府を置いたので室町幕府」と整理される。

ミニ例京都市の中心部に「室町通り」が今も残る現代の地名としてある。鎌倉の「鎌倉」も京都の「室町」も、どちらも 幕府が置かれた場所の地名がそのまま名称になった 点で共通する。

2. 足利尊氏が「誰から誰へ寝返ったか」がこんがらがる

つまずく場面尊氏は 鎌倉幕府の御家人 → 後醍醐天皇側に味方 → 後醍醐から離れて新しい幕府 と、立場を 2回変えている。「結局、尊氏は味方なの?敵なの?」と混乱しがち。

克服のコツ時系列で「1回目の方向転換(1333年)=鎌倉幕府を倒す側へ、2回目の方向転換(1336年)=建武の新政を見限って自分の幕府を作る」と 2段階に分けて 整理する。教科書では「武士の不満を背負って建武の新政から離れた」と説明される。

ミニ例1回目:京都の 六波羅探題(鎌倉幕府の出先機関)を攻め落とす側に回った。 / 2回目:武士への 恩賞(おんしょう=報酬) が公家に偏ったことで武士の不満が高まり、尊氏がそれを背景に建武の新政から離れた。

3. 南北朝の「南北」を日本列島の南北だと思ってしまう

つまずく場面「南北朝」と聞くと「北海道〜九州」みたいな広い南北を想像し、「北日本に1つ、南日本に1つの政権?」と誤解する。

克服のコツ南北朝は 京都の北朝吉野(奈良県南部)の南朝。両者は 近畿地方の中での南北 で、直線距離でおよそ60〜70km程度。「北日本/南日本」のスケールではなく、関西エリア内の話、と覚える。

ミニ例北朝:足利尊氏が立てた光明天皇(京都)。 / 南朝:後醍醐天皇(吉野へ逃れた)。1392年に 3代将軍 足利義満のもとで 南朝の天皇が北朝の天皇に譲位し、朝廷が一つにまとまった(結果として北朝側の系統に一本化された)。

4. 「銀閣=銀ピカ」と思い込んでしまう

つまずく場面「金閣」が金箔貼りの豪華建築なので、「銀閣」も対称的に銀箔貼りで光っていると想像してしまう。画像を見て「思っていたのと違う」とギャップで混乱する。

克服のコツ銀閣には 銀箔は貼られていない。「銀閣」は後世の通称で、実物は 素朴な2層の木造建築。これは 東山文化のわび・さび(質素で深みを尊ぶ美意識)を象徴している、と 文化の違い で覚える。

ミニ例金閣(北山文化/3層/金箔/豪華で国際的) vs 銀閣(東山文化/2層/銀箔なし/わび・さび)。教科書では「北山文化=義満の時代、東山文化=義政の時代」と 文化の名前と将軍をセット で整理する。

みんなが間違える誤答

よくある誤答 室町幕府を開いたのは源頼朝だと答える

💡 ここがちがう 源頼朝が開いたのは鎌倉幕府である。室町幕府を開いたのは足利尊氏で、頼朝とは時代も人物も異なる。

正しい理解 室町幕府を開いたのは足利尊氏である。

よくある誤答 銀閣には銀箔が貼られていたと答える

💡 ここがちがう 金閣には金箔が貼られているが、銀閣には実際には銀箔は貼られていない。「銀閣」という名前は通称で、素朴さが特徴の東山文化を代表する建物である。

正しい理解 銀閣には銀箔は貼られていない(「銀閣」は通称である)。

よくある誤答 南北朝を1392年に合一したのは足利尊氏だと答える

💡 ここがちがう 足利尊氏は室町幕府を開いた初代将軍で、南北朝の対立はこの尊氏の時代に始まった。南北朝を1392年に合一したのは3代将軍の足利義満である。

正しい理解 南北朝を1392年に合一したのは足利義満である。

テストで出る型と答え方

パターン1:人物と業績を結ぶ問題を問う

📝 出題例 次の人物に関係するものを選びなさい。①後醍醐天皇 ②足利尊氏 ③足利義満 ④足利義政。選択肢:建武の新政/室町幕府を開く/南北朝合一・金閣/銀閣(東山文化)。

答え方 人物→代表業績をワンセットで暗記。①後醍醐=建武の新政、②尊氏=室町幕府を開く(1338年征夷大将軍)、③義満=南北朝合一(1392)・勘合貿易(1404)・金閣(1397)の三点セット、④義政=銀閣(東山文化)、と整理すると確実。応仁の乱は義政の『業績』ではなく在任中に起きた出来事なので、業績の選択肢には入れないこと。

⚠️ ありがちなミス 義満と義政を取り違えるミスが多発。「義満=金閣・最盛期」「義政=銀閣・東山文化」と語呂で区別しよう。応仁の乱を義政の業績と書かないこと。

パターン2:勘合貿易のしくみを問う

📝 出題例 勘合とは何か。なぜ明はこの証票を日本の貿易船に持たせたのか、「倭寇」という語を使って説明しなさい。

答え方勘合=正規の貿易船を証明する証票、②目的=倭寇(海賊)と正規の貿易船を区別するため、の2点を必ず書く。さらに「明(中国)が倭寇に苦しんでいた」という背景を1文加えると満点答案になります。

⚠️ ありがちなミス 勘合貿易を自由貿易と書くのは誤り。正式な証明書による管理貿易であった点を必ず押さえる。

パターン3:建武の新政が失敗した理由を問う

📝 出題例 後醍醐天皇による建武の新政はわずか2年余りで崩壊した。失敗した理由を2つ挙げて説明しなさい。

答え方 中学教科書準拠の3つの理由のうち2つを選んで書く。(a)武士への恩賞が不十分・不公平だった、(b)公家中心の政治で武士が政治から遠ざけられた、(c)新たな税や政策がたびたび変わり混乱し、民衆も不満を持った。背景としては『武士は武家政権の復活を望んでいた』ことも押さえておくとよい。

⚠️ ありがちなミス 「公家中心の政治」だけで終わらせず、なぜ武士が不満か(恩賞の不公平・政治からの疎外)まで踏み込まないと減点される。また同じ『武士の不満』を別表現で2回書くと重複減点になるので、観点を変えて2つ書くこと。

パターン4:北山文化と東山文化を比較する

📝 出題例 北山文化と東山文化について、時期・代表的な建築物・特徴をそれぞれ書き、両者を比較しなさい。

答え方 表でセット暗記。北山=14世紀末〜15世紀初頭(義満の頃)金閣(3層・金箔・豪華・国際的)・能楽(観阿弥・世阿弥)。東山=15世紀後半(義政の頃)銀閣(2層・素朴)・書院造・茶の湯・水墨画(雪舟)。「豪華⇔わび・さび」で対比して書こう。

⚠️ ありがちなミス 「銀閣には銀箔が貼られている」と書くのは誤り。銀閣は通称で銀箔は貼られていないことに注意。世紀の区切りで誤答にならないよう、北山は『14世紀末〜15世紀初頭』と幅を持たせて覚えるとよい。

パターン5:応仁の乱とその影響を問う(時系列・因果)

📝 出題例 応仁の乱はいつ、どこで、何をきっかけに起き、どのような影響を与えたか説明しなさい。

答え方 5W+影響の型で答える。①時期=1467〜1477年(11年間)、②場所=京都、③きっかけ=8代将軍足利義政の後継争いと、有力守護大名(畠山・斯波)の家督争いが結びついて起こった、④影響=幕府の権威失墜→下剋上→戦国時代へ。余裕があれば東軍=細川勝元、西軍=山名宗全も覚える。

⚠️ ありがちなミス 「京都だけの戦い」と理解するのは誤り。全国の守護大名を巻き込み、戦国時代の出発点になった点を書かないと不十分。きっかけも『将軍家の後継争いだけ』ではなく『守護大名の家督争いと結びついた』点まで書く。

テスト前の総仕上げ テスト直前は年号セット(1333鎌倉滅亡/1336建武式目・1338尊氏が征夷大将軍(室町幕府成立)/1392南北朝合一/1404勘合貿易/1467応仁の乱)と義満の三大業績を白紙に書けるか確認。金閣・銀閣の比較表も1分で書けるようにしておこう。

違い辞典 — 混同しやすい3ペアを表で
鎌倉幕府と室町幕府の違い
比べる軸鎌倉幕府室町幕府
開いた人源頼朝足利尊氏
幕府の場所鎌倉(関東)京都の室町
成立した年1185年〜1192年ごろ1336年(建武式目)/1338年(征夷大将軍)
支持基盤東国武士が中心京都の朝廷や有力守護と関わる
将軍の補佐役執権(北条氏)管領(細川・斯波・畠山の三管領)
守護の役割軍事・警察役が中心領国支配を強め守護大名へ成長
終わり方1333年、後醍醐天皇らに滅ぼされる1573年、織田信長に滅ぼされる
北山文化と東山文化の違い
比べる軸北山文化東山文化
中心人物3代将軍 足利義満8代将軍 足利義政
時期14世紀末(室町前期)15世紀後半(室町後期)
場所京都・北山京都・東山
代表的な建物金閣(3層・金箔貼り)銀閣(2層・素朴/銀箔なし)
性格・特徴公家・武家・禅の融合、豪華で国際的わび・さび、質素で内面的
代表的な芸術能楽(観阿弥・世阿弥)書院造・茶の湯・水墨画(雪舟)
社会の背景南北朝合一・勘合貿易で安定した時期応仁の乱の前後で動乱が広がった時期
北朝と南朝の違い
比べる軸北朝(京都)南朝(吉野)
立てた人物足利尊氏後醍醐天皇
本拠地京都吉野(奈良県南部)
天皇光明天皇後醍醐天皇
支持基盤足利氏を中心とした武士後醍醐天皇に従う武士や公家
立場新しい武家政権を支える朝廷建武の新政の流れをくむ朝廷
合一の結果南朝を吸収して残った1392年に北朝へ吸収される形で消滅
解き方の手順 — 5ステップ
  1. 鎌倉滅亡から幕府成立までの流れを押さえる

    まず1333年に鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇の建武の新政が2年で失敗1336年に足利尊氏が光明天皇を立てて建武式目を定め1338年に征夷大将軍に任命されて室町幕府を開く、という流れを順番に確認します。なぜ建武の新政が失敗したかも合わせて覚えると、尊氏が幕府を開いた理由がつながります。

    例題:建武の新政が失敗した理由は、恩賞が公家中心に偏り、武士への恩賞が不十分だったこと、政策がころころ変わったこと、武士が武家政権の復活を望んだことの3点。

  2. 南北朝の対立と合一を地理と人物で覚える

    北朝=京都=足利尊氏が光明天皇を立てた朝廷南朝=吉野(奈良県南部)=後醍醐天皇と、場所と人物をセットで押さえます。そのうえで1392年、3代将軍足利義満が南朝を北朝に吸収する形で合一した、と1つのストーリーにします。

    例題:問:南北朝の合一は何年、誰が行ったか。 → 答:1392年、足利義満。南朝(吉野)が北朝(京都)に吸収される形で合一。

  3. 足利義満の業績を3点セットで覚える

    義満は「南北朝合一(1392)」「金閣建立(1397)」「勘合貿易の開始(1404)」の3つを必ずセットで答えられるようにします。勘合は明から発行された割符(合い札)で、明の港で照合して正規の朝貢船と確認するための証明で、海賊である倭寇と区別するための日明貿易(朝貢貿易)だった、という目的まで言えると満点です。

    例題:問:足利義満の主な業績を3つ。 → 答:①南北朝合一(1392年)②金閣建立(1397年・北山文化)③勘合貿易の開始(1404年)

  4. 北山文化と東山文化を比較軸で区別する

    義満=14世紀末=北山文化=金閣・能楽義政=15世紀後半=東山文化=銀閣・書院造・茶の湯・水墨画と、「将軍/時期/場所/代表」の4つの軸を表にして覚えます。金閣は3層・金箔・豪華、銀閣は2層・素朴・わびさび、と特徴も対比します。

    例題:金閣(北山文化)=3層・金箔・国際的/銀閣(東山文化)=2層・素朴・わびさび。銀閣には実は銀箔は貼られていない(通称)。

  5. 応仁の乱から戦国時代への流れをつなぐ

    1467年、8代将軍足利義政の後継争いから、細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)に守護大名が分かれて京都で11年戦った、と4点(年・人・場所・期間)を整理します。結果として幕府の権威が失墜し、下剋上の戦国時代へつながる、という後への影響まで言えるようにします。

    例題:問:応仁の乱はいつ・どこで・きっかけは。 → 答:1467〜1477年、京都、8代将軍足利義政の後継争い。結果、幕府権威が失墜し戦国時代へ。

この章のまとめ
  • 1333年、後醍醐天皇と足利尊氏・新田義貞らで 鎌倉幕府を滅亡させる。
  • 後醍醐の 建武の新政は2年で破綻。1336年、足利尊氏が室町幕府を開く。
  • 1336〜1392年、南北朝の動乱。3代義満で合一。
  • 義満:金閣建立・勘合貿易・南北朝合一で室町幕府最盛期。
  • 文化:北山文化(金閣・能・狂言)東山文化(銀閣・茶・書院造)
  • 1467年からの 応仁の乱で幕府の権威は失墜し、戦国時代へ。

練習問題 — Unit 10

  1. hist-10-q1 1333年に鎌倉幕府を倒した中心人物(天皇)は?
    後醍醐天皇
  2. hist-10-q2 後醍醐天皇による天皇親政を何という?
    建武の新政
  3. hist-10-q3 建武の新政が失敗した理由は?
    公家を重視し武士を冷遇したため、武士が離反した
  4. hist-10-q4 建武の新政から離反し、1338年に室町幕府を開いた武将は?
    足利尊氏
  5. hist-10-q5 京都と吉野に2人の天皇が並んだ時代を何という?
    南北朝時代
  6. hist-10-q6 1392年に南北朝を統一した3代将軍は?
    足利義満
  7. hist-10-q7 足利義満が建てた金箔の建物は?
    金閣(鹿苑寺)
  8. hist-10-q8 将軍を補佐する室町幕府の役職は?
    管領
  9. hist-10-q9 一国を支配するようになった守護を何という?
    守護大名
  10. hist-10-q10 1404年に始まった、合い札を使う明との貿易は?
    勘合貿易(日明貿易)
  11. hist-10-q11 勘合を使った理由は?
    正規の貿易船と倭寇を区別するため
  12. hist-10-q12 朝鮮や中国沿岸を荒らした日本人主体の海賊は?
    倭寇
  13. hist-10-q13 1429年に沖縄を統一した王国は?
    琉球王国(尚巴志が統一)
  14. hist-10-q14 琉球王国の経済の中心は?
    中継貿易
  15. hist-10-q15 能を大成させた親子は?
    観阿弥・世阿弥
  16. hist-10-q16 入試頻出室町幕府で将軍の力が弱かった理由は?
    地方の守護大名が一国を実効支配して力をつけたため、将軍が全国を抑えきれなかった
  17. hist-10-q17 1331年、後醍醐天皇の倒幕計画が発覚した事件と、流された島は?
    元弘の変隠岐(島根)
  18. hist-10-q18 入試頻出1333年に千早城で幕府軍を苦しめた河内の武士は?
    楠木正成
  19. hist-10-q19 入試頻出1333年、京都の六波羅探題を攻め落とした武将と、鎌倉を攻め落とした武将は?
    六波羅=足利尊氏/鎌倉=新田義貞
  20. hist-10-q20 入試頻出建武の新政が2年余りで失敗した理由は?
    公家を重んじ、武士への恩賞が不公平だったため武士の不満が高まったから
  21. hist-10-q21 足利尊氏は2回「向きを変えた」。それぞれいつ、何から何へ?
    ①1333 幕府側→天皇側(六波羅を攻撃)②1336 天皇側→自分の幕府(北朝を立てる)
  22. hist-10-q22 入試頻出北朝と南朝の場所と、それぞれの天皇は?
    北朝=京都・光明天皇(尊氏が立てる)/南朝=吉野・後醍醐天皇
  23. hist-10-q23 南北朝の動乱は何年から何年まで、約何年間続いたか?
    1336〜1392年、約56年
  24. hist-10-q24 1336年に足利尊氏が定めた幕府の基本方針は?
    建武式目
  25. hist-10-q25 入試頻出室町幕府の管領に交代で就いた3つの氏は?
    細川・斯波・畠山(三管領)
  26. hist-10-q26 室町幕府の侍所の長官に就いた4つの氏は?
    赤松・一色・山名・京極(四職)
  27. hist-10-q27 室町幕府が関東を治めるために置いた機関と、その長官・補佐役は?
    鎌倉府/長官=鎌倉公方・補佐=関東管領(上杉氏)
  28. hist-10-q28 「室町」という時代名の由来は?
    3代義満が京都の室町通に建てた御所「花の御所
  29. hist-10-q29 入試頻出南北朝の争いの中で守護が力を強めた理由と、成長した守護を何というか。
    国内の武士を家来にし、荘園の年貢の半分を取る権利(半済)を得たから/守護大名
  30. hist-10-q30 入試頻出足利義満の3つの業績を、年とともに。
    1392 南北朝の合一/1397 金閣/1404 勘合貿易
  31. hist-10-q31 足利義満が1394年に就いた、武士としては2人目の官職は?
    太政大臣(1人目は平清盛)
  32. hist-10-q32 明の皇帝から義満に与えられた称号は?
    日本国王
  33. hist-10-q33 勘合貿易の輸入品と輸出品を2つずつ。
    輸入=明銭(永楽通宝)・生糸/輸出=刀・銅(硫黄・扇)
  34. hist-10-q34 勘合貿易の実権をにぎった2つの守護大名と、その港は?
    細川氏(堺)大内氏(博多)
  35. hist-10-q35 1392年に高麗を倒して朝鮮を建国した人物は?日本との貿易を仲介した氏は?
    李成桂/対馬の宗氏
  36. hist-10-q36 朝鮮からの主な輸入品は?
    木綿・仏教の経典
  37. hist-10-q37 入試頻出琉球王国の中継貿易とは?
    明・日本・朝鮮・東南アジアの間で品物を仲介して運び利益を得る貿易
  38. hist-10-q38 蝦夷地で和人と交易し、1457年に蜂起したアイヌの首長は?
    コシャマイン
  39. hist-10-q39 津軽半島にあり、蝦夷地との交易で栄えた港は?
    十三湊(安藤氏)
  40. hist-10-q40 1441年に6代将軍足利義教を暗殺した守護と、事件名は?
    赤松満祐嘉吉の乱
  41. hist-10-q41 入試頻出鎌倉幕府と室町幕府で、将軍の補佐役の名前と就いた氏をそれぞれ。
    鎌倉=執権・北条氏/室町=管領・細川・斯波・畠山
  42. hist-10-q42 金閣が世界遺産に登録されたのはいつ、何という遺産の一部として?
    1994年古都京都の文化財
  43. hist-10-q43 入試頻出次の人物に関係するものを選びなさい。①後醍醐天皇 ②足利尊氏 ③足利義満 ④足利義政。選択肢:建武の新政/室町幕府を開く/南北朝合一・金閣/銀閣(東山文化)。
    人物→代表業績をワンセットで暗記。①後醍醐=建武の新政、②尊氏=室町幕府を開く(1338年征夷大将軍)、③義満=南北朝合一(1392)・勘合貿易(1404)・金閣(1397)の三点セット、④義政=銀閣(東山文化)、と整理すると確実。応仁の乱は義政の『業績』ではなく在任中に起きた出来事なので、業績の選択肢には入れないこと。 ⚠️ 義満と義政を取り違えるミスが多発。「義満=金閣・最盛期」「義政=銀閣・東山文化」と語呂で区別しよう。応仁の乱を義政の業績と書かないこと。
  44. hist-10-q44 入試頻出勘合とは何か。なぜ明はこの証票を日本の貿易船に持たせたのか、「倭寇」という語を使って説明しなさい。
    勘合=正規の貿易船を証明する証票、②目的=倭寇(海賊)と正規の貿易船を区別するため、の2点を必ず書く。さらに「明(中国)が倭寇に苦しんでいた」という背景を1文加えると満点答案になります。 ⚠️ 勘合貿易を自由貿易と書くのは誤り。正式な証明書による管理貿易であった点を必ず押さえる。
  45. hist-10-q45 入試頻出後醍醐天皇による建武の新政はわずか2年余りで崩壊した。失敗した理由を2つ挙げて説明しなさい。
    中学教科書準拠の3つの理由のうち2つを選んで書く。(a)武士への恩賞が不十分・不公平だった、(b)公家中心の政治で武士が政治から遠ざけられた、(c)新たな税や政策がたびたび変わり混乱し、民衆も不満を持った。背景としては『武士は武家政権の復活を望んでいた』ことも押さえておくとよい。 ⚠️ 「公家中心の政治」だけで終わらせず、なぜ武士が不満か(恩賞の不公平・政治からの疎外)まで踏み込まないと減点される。また同じ『武士の不満』を別表現で2回書くと重複減点になるので、観点を変えて2つ書くこと。
  46. hist-10-q46 入試頻出北山文化と東山文化について、時期・代表的な建築物・特徴をそれぞれ書き、両者を比較しなさい。
    表でセット暗記。北山=14世紀末〜15世紀初頭(義満の頃)金閣(3層・金箔・豪華・国際的)・能楽(観阿弥・世阿弥)。東山=15世紀後半(義政の頃)銀閣(2層・素朴)・書院造・茶の湯・水墨画(雪舟)。「豪華⇔わび・さび」で対比して書こう。 ⚠️ 「銀閣には銀箔が貼られている」と書くのは誤り。銀閣は通称で銀箔は貼られていないことに注意。世紀の区切りで誤答にならないよう、北山は『14世紀末〜15世紀初頭』と幅を持たせて覚えるとよい。
  47. hist-10-q47 入試頻出応仁の乱はいつ、どこで、何をきっかけに起き、どのような影響を与えたか説明しなさい。
    5W+影響の型で答える。①時期=1467〜1477年(11年間)、②場所=京都、③きっかけ=8代将軍足利義政の後継争いと、有力守護大名(畠山・斯波)の家督争いが結びついて起こった、④影響=幕府の権威失墜→下剋上→戦国時代へ。余裕があれば東軍=細川勝元、西軍=山名宗全も覚える。 ⚠️ 「京都だけの戦い」と理解するのは誤り。全国の守護大名を巻き込み、戦国時代の出発点になった点を書かないと不十分。きっかけも『将軍家の後継争いだけ』ではなく『守護大名の家督争いと結びついた』点まで書く。

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 10)

3つを声に出して。

  • 建武の新政はなぜ失敗した?
  • 勘合貿易はなぜ勘合を使った?相手はどこ?
  • 室町幕府の将軍の力が弱かったのはなぜ?
① 後醍醐天皇が公家を重視し武士を冷遇したため、武士の不満が高まり足利尊氏が離反、2〜3年で崩壊。
② 相手は倭寇(海賊)と正規の貿易船を区別するため勘合(合い札)を使った。
③ 地方の守護大名が一国を実効支配して強くなったため、将軍が全国を統制できなかった(→応仁の乱・戦国の種)。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「将軍が弱く守護大名が強い」という室町の特徴が、次のUnit 11・12(一揆・応仁の乱・戦国)の前提です。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 10 の進捗 📜 完全年表 室町へ

Unit 11 — 室町② 社会と文化

農民がで団結し、一揆で支配者に立ち向かう。経済も発達。文化は東山文化で「わび・さび」=今の和風の原型が生まれる。

時代の見取り図

支配者は?守護大名。だが農民も惣・一揆で力をつけ、自治を実現する所も。
経済の基盤農業の進歩(二毛作・水車)、商業・金融(馬借・土倉・酒屋・座)。
対外関係勘合貿易は継続(Unit 10)。
前からの変化民衆が歴史の表に登場。文化も貴族中心から庶民・禅へ。
A 土地農民がで団結し、年貢の軽減や徳政(借金帳消し)を要求。土地・年貢をめぐる民衆の抵抗。
B 武士守護大名が支配を強めるが、一揆や下克上で下から突き上げられ始める(次のUnit 12へ)。
C 権力民衆(惣・一揆)が新たな力に。山城国一揆・加賀一向一揆では守護を追放して自治。
D 対外大きな動きなし。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 農民たちはなぜ「惣」という組織を作って団結したと思う?
    考えるヒントと答え
    1人では守護や領主に年貢の軽減や用水の管理を要求できない。村ごとにまとまれば(惣)、交渉したり、ときには一揆で集団で立ち向かえるから(縦糸A・C=民衆の力)。
  2. 東山文化(銀閣・書院造)は、今の私たちの暮らしと関係がある?
    考えるヒントと答え
    おおいにある。書院造は畳・障子・床の間をもち、現代の和室の原型。茶の湯・生け花・水墨画も今に続く。「わび・さび(簡素な美)」という日本の美意識がこの時期に確立した。
  3. 「下克上」とはどういう意味だと思う?
    考えるヒントと答え
    下の者が上の者を実力で倒して、その地位を奪うこと。守護大名の家臣が主君を倒して戦国大名になったり、農民が一揆で守護を追い出したり。室町後期〜戦国の世を表すキーワード(縦糸C)。
農業・商業の発達 惣(村の自治) 土一揆・一向一揆 下克上の風潮
6Wでみる「民衆の成長(惣と一揆)」
背景農業(二毛作・牛馬・水車)や商業が発達し、農民・町人が豊かに・力をつけた。
何を村ごとにという自治組織を作り、団結。年貢軽減や徳政(借金帳消し)を求めて一揆を起こした。
結果1428年正長の土一揆(最初の本格的土一揆)。1485年山城国一揆(守護を追放し8年間自治)。1488年加賀の一向一揆(約100年間自治)。
影響「身分が下の者でも、団結すれば支配者を倒せる」=下克上の風潮が広がり、戦国時代へつながる。

村と町の自治 — 「惣村」「一揆」「町衆」を1枚で

惣(惣村)のしくみ — 農民が自分たちで村を運営

惣(そう)= 村の自治組織 寄合(よりあい)= 村のおとな・沙汰人が集まる会議 惣掟(そうおきて)= 村のきまり(違反は追放も) 用水・山林(入会地)の共同管理 年貢を村でまとめて納める(地下請) 自分たちで警察・裁判(自検断) 団結して要求 → 一揆へ 一揆(いっき)の種類 土一揆:農民・馬借が徳政を要求  (正長 1428・嘉吉 1441) 国一揆:国人(武士)+農民が守護を追放  (山城国一揆 1485〜・8年自治) 一向一揆:浄土真宗の門徒が守護を倒す  (加賀 1488〜・約100年自治)

⭐ 記述:「一揆が起こせるようになった背景」→ 農業の発達で農民に力がつき、惣で団結して行動できるようになったから。「徳政」=借金の帳消し。土倉・酒屋(高利貸し)を襲い、借用証文を破った。

一揆だれが・どこで結果・ポイント
正長の土一揆1428近江の馬借が始め、近畿一帯の農民へ。京都の土倉・酒屋を襲う最初の大規模な土一揆。奈良の柳生の石碑「正長元年ヨリサキ者カンヘ四カンカウニヲヰメアルヘカラス(借金はないものとする)」
嘉吉の徳政一揆1441将軍義教が暗殺された直後、京都周辺の数万人幕府が初めて徳政令を出して認めた
山城国一揆1485〜93山城(京都南部)の国人と農民争っていた守護畠山氏の軍を追い出し8年間自治
加賀の一向一揆1488〜1580加賀(石川)の浄土真宗(一向宗)の門徒。蓮如の布教で広まる守護富樫政親を倒し、約100年「百姓の持ちたる国」。信長に滅ぼされるまで続く

都市と商業 — 座・土倉・馬借・町衆

用語意味ポイント
座(ざ)商人・手工業者の同業者組合公家や寺社に税を納め、営業を独占する権利を得た(大山崎の油座など)。のち信長の楽市・楽座で廃止
土倉(どそう)・酒屋高利貸し質物を倉に保管したので土倉。酒屋も金貸しをした。幕府は土倉役・酒屋役という税を取り財源に。一揆の攻撃対象
馬借(ばしゃく)・車借馬・牛車で荷物を運ぶ運送業者琵琶湖岸の坂本・大津が拠点。情報が早く、土一揆の先頭に立った
問(問丸)港の倉庫・運送・卸売業者鎌倉時代から発達
定期市六斎市(月6回)鎌倉の三斎市(月3回)から回数が増える。明銭(永楽通宝)が流通
為替(かわし)遠くへ現金を送らず、手形で決済商業の発達を示す
町衆(まちしゅう)京都の裕福な商工業者応仁の乱で荒れた京都を復興し、祇園祭を復活させた。自治の担い手
会合衆(えごうしゅう)の36人の豪商による自治の合議機関堺は環濠で囲まれ「東洋のベニス」と呼ばれた自治都市。博多は年行司

いろいろな「町」— なぜそこに町ができたか

  • 門前町:大きな寺社の門前(伊勢の宇治・山田、善光寺の長野)
  • 寺内町:浄土真宗の寺を中心に(石山本願寺=今の大阪、吉崎)
  • 港町堺・博多・兵庫・敦賀・小浜(貿易と海運)
  • 宿場町:街道沿いの宿(江戸時代に発達)/市場町:定期市から発達
  • 城下町:戦国大名の城の周り(次のUnit 12)

北山文化と東山文化 — 「金・派手・義満」と「銀・わび・義政」

北山文化(14世紀末〜)東山文化(15世紀後半〜)
将軍3代 足利義満8代 足利義政
建物金閣(鹿苑寺・北山)— 3層・金箔・寝殿造+武家造+禅宗様銀閣(慈照寺・東山)— 2層・銀箔はない・書院造+禅宗様
特徴公家文化と武家文化の融合・華やか禅の影響が強いわび・さび・簡素で静か
芸能・芸術(観阿弥・世阿弥『風姿花伝』)・狂言(能の合間の喜劇)書院造(東求堂同仁斎:畳・床の間・違い棚・障子=和室の原型)/枯山水(龍安寺の石庭・水を使わず石と砂)/水墨画(雪舟「秋冬山水図」・明で学ぶ)/茶の湯(村田珠光・わび茶)/生け花(池坊)/連歌(宗祇)
民衆の文化御伽草子(一寸法師・浦島太郎・物くさ太郎などの絵入り物語)/盆踊り祇園祭(町衆が復興)/狩野派(狩野正信・元信:水墨画と大和絵を融合→安土桃山へ)
今に残るもの能楽は2008年 ユネスコ無形文化遺産(600年以上上演)和室・茶道・華道・庭園。本膳料理(一汁三菜)→2013年「和食」が無形文化遺産

「銀閣は銀ピカではない」を映像で

金閣=キンキラ3階建て(義満・絶頂)/銀閣=木のままの2階建て(義政・応仁の乱で幕府が落ち目)

映像にしよう👉 権力の絶頂にいた義満は池に映る金色の3階建てを建てた。応仁の乱で京都が焼け野原になったのに政治を投げ出した義政は、山荘に飾りのない木の2階建てを建てて、畳の小部屋(同仁斎)で茶をたてた。金の派手さと銀の静けさは、幕府の勢いの差そのもの。

室町時代の自治・一揆・文化の場所マップ

赤=一揆、茶=文化、緑=自治都市・産業。

1 近江(正長の土一揆の発端) 2 山城国一揆 1485 3 加賀の一向一揆 1488(石川) 4 京都(金閣・銀閣・龍安寺) 5 堺(会合衆・自治) 6 博多(年行司・自治) 7 石山本願寺(寺内町) 8 雪舟(山口・大内氏) ● 赤=一揆 ● 茶=文化 ● 緑=自治都市
  • 1近江(滋賀) 滋賀県1428年 坂本の馬借が正長の土一揆を始める
  • 2山城 京都府南部1485年 国人と農民が守護畠山氏を追い出し8年間自治
  • 3加賀 石川県1488年 一向一揆が守護富樫氏を倒し約100年自治
  • 4京都 京都市北山の金閣、東山の銀閣龍安寺の石庭。町衆が祇園祭を復興
  • 5 大阪府会合衆が運営する自治都市。勘合貿易・のち鉄砲生産
  • 6博多 福岡県年行司が運営。大内氏の貿易港
  • 7石山本願寺 大阪市浄土真宗の本山(1496〜)。寺内町。のち信長と10年戦う
  • 8山口 山口県大内氏の城下町「西の京」。雪舟はここから明へ渡り、帰国後も活動

重要事件と年号

1428正長の土一揆一夜に(1428)借金帳消し・馬借が発端
1441嘉吉の徳政一揆(幕府が徳政令)
1467応仁の乱(〜77・→Unit 12)人の世むなしい(1467)
1485山城国一揆(守護を追放・自治)
1488加賀の一向一揆
1489銀閣(足利義政・東山文化)銀箔はない
1496石山本願寺(大阪・寺内町)

「金閣=義満・北山/銀閣=義政・東山」を映像で

金(きん)閣=義満(よしみつ)/ 銀(ぎん)閣=義政(よしまさ)— どちらも「みつ・まさ」

混ざりやすい2つを映像で👉 ピカ豪華な金閣は、全盛期の3代義満(はなやかな北山文化)。色(実際は銀箔なし)の落ち着いた銀閣は、応仁の乱のころの8代義政(しぶい東山文化)。
👉「金=義満=はなやか」「銀=義政=わび・さび」と、建物の派手さ=将軍の時代の雰囲気でセット化。銀閣の隣の書院造が和室の原型。

重要人物・経済用語

足利義政1436-14908代将軍。応仁の乱の一因。銀閣・書院造・東山文化。
雪舟1420-1506水墨画を大成。明に渡って学ぶ。「秋冬山水図」。
村田珠光1423-1502わび茶の祖。静かな小部屋で茶をたてる茶の湯を始める(→千利休へ)。
宗祇1421-1502連歌を大成。何人かで上の句・下の句をつなぐ。全国を旅して広めた。
狩野正信・元信15-16c狩野派の祖。水墨画に大和絵の技法を合わせる。安土桃山の障壁画へ続く。
蓮如1415-1499浄土真宗(本願寺)を再興。御文で布教。加賀一向一揆の母体。
馬借・問(問丸)馬借=陸の運送業者、問=港の運送・倉庫業者。土一揆の中心にも。
土倉・酒屋高利貸し(金融業者)。一揆の襲撃対象になった。

この時代の文化(東山文化=足利義政期)

建築・庭園
  • 銀閣(慈照寺)/書院造(東求堂同仁斎・畳・障子・床の間=和室の原型)
  • 枯山水(龍安寺石庭・水を使わず石と砂で表現)
芸術・芸能
  • 水墨画:雪舟/茶の湯:村田珠光(わび茶の祖)/生け花/連歌
民衆文化
  • 御伽草子(一寸法師・浦島太郎など絵入りの物語)
  • 盆踊り・祇園祭(応仁の乱で中断後、京都の町衆が復興)

同時期の世界

室町後期、ヨーロッパでは大航海時代が始まり(コロンブス1492)、ルネサンスが花開いた。東ローマ帝国が滅亡(1453)し、オスマン帝国が地中海東部を支配。日本の民衆が一揆で立ち上がっていたころ、世界も大きく動いていた。

1453東ローマ帝国 滅亡
1492コロンブス アメリカ到達
1498バスコ=ダ=ガマ インド航路

📖 史料 — 正長の土一揆(1428)

正長元年九月 日、一天下の土民蜂起す徳政と号し、酒屋・土倉・寺院等を破却せしめ、…借銭等悉くこれを破る。日本開白以来、土民蜂起是れ初めなり
出典:『大乗院日記目録』(尋尊)
  1. hist-11-s1 「土民」が要求した「徳政」とは?
    借金の帳消し
  2. hist-11-s2 「日本開白以来…初めなり」が示すこの一揆の意義は?
    日本史上初の本格的な民衆(農民)の一揆。以後、土一揆が頻発する時代に

よくある間違い

  • 「金閣=義政、銀閣=義満」→ ✗ 逆。金閣=義満(北山)、銀閣=義政(東山)
  • 「書院造は江戸時代の様式」→ ✗。室町の東山文化。現代の和室の原型。
  • 「惣は武士の組織」→ ✗。農民(村)の自治組織
  • 「銀閣には銀箔が貼ってある」→ ✗。銀箔はない。素朴な2層の木造建築(わび・さび)。
  • 「国一揆=浄土真宗の門徒、一向一揆=国人と農民」→ ✗ 逆。国一揆=国人(武士)+農民(山城)/一向一揆=浄土真宗の門徒(加賀)
  • 「座は市場のこと」→ ✗。座は同業者の組合(営業の独占権)。市場は定期市(六斎市)。
想起トレーニング:「室町時代に民衆(農民)はどう力をつけたか」を説明してみよう
ヒント① 何を作って団結した?
村ごとにという自治組織を作った。…団結して何を要求した?
ヒント② 何を要求し、何を起こした?
年貢軽減や徳政(借金帳消し)を求めて一揆を起こした。山城国一揆や加賀一向一揆では守護を追放して自治も。
答え
農業・商業の発達で力をつけた農民が、村ごとに惣という自治組織を作って団結し、年貢軽減や徳政を求めて一揆を起こした。山城国一揆・加賀一向一揆では守護を追放し自治を実現。これが下克上の風潮を生んだ。

練習問題 — Unit 11

  1. hist-11-q1 室町時代の村の自治組織を何という?
    (そう)
  2. hist-11-q2 1428年に起きた最初の本格的な土一揆は?
    正長の土一揆
  3. hist-11-q3 一揆が要求した「徳政」とは何か?
    借金の帳消し
  4. hist-11-q4 1485年、農民・武士が守護を追放し8年間自治した一揆は?
    山城国一揆
  5. hist-11-q5 1488年、本願寺門徒が守護を倒し約100年自治した一揆は?
    加賀の一向一揆
  6. hist-11-q6 浄土真宗(一向宗)を再興した人物は?
    蓮如
  7. hist-11-q7 銀閣を建てた8代将軍は?
    足利義政
  8. hist-11-q8 銀閣に代表される文化を何という?
    東山文化
  9. hist-11-q9 畳・障子・床の間をもつ、現代の和室の原型の建築様式は?
    書院造
  10. hist-11-q10 石と砂で自然を表現する庭園を何という?
    枯山水(龍安寺石庭など)
  11. hist-11-q11 水墨画を大成した僧は?
    雪舟
  12. hist-11-q12 一寸法師・浦島太郎などの絵入りの物語を何という?
    御伽草子
  13. hist-11-q13 陸上で馬を使って物を運んだ運送業者は?
    馬借
  14. hist-11-q14 室町時代の高利貸し(金融業者)を2つ。
    土倉・酒屋
  15. hist-11-q15 下の者が実力で上の者を倒す風潮を何という?
    下克上
  16. hist-11-q16 入試頻出東山文化が「現代の和の暮らしの原型」と言われる理由は?
    書院造(畳・障子・床の間)・茶の湯・生け花・水墨画など、今に続く和風文化の基礎がこの時期に生まれたから
  17. hist-11-q17 惣の会議と、村のきまりをそれぞれ何という?
    寄合惣掟
  18. hist-11-q18 惣が行った自治の内容を2つ。
    用水・山林の共同管理/年貢をまとめて納める/自分たちで警察・裁判(自検断)など
  19. hist-11-q19 入試頻出正長の土一揆を最初に起こしたのは、どこの誰か?
    近江(滋賀)の馬借
  20. hist-11-q20 正長の土一揆で襲われたのはどんな業者か?
    土倉・酒屋(高利貸し)。借用証文を破った
  21. hist-11-q21 1441年、将軍の暗殺直後に起き、幕府が初めて徳政令を出した一揆は?
    嘉吉の徳政一揆
  22. hist-11-q22 入試頻出土一揆・国一揆・一向一揆の違いを、担い手で説明せよ。
    土一揆=農民・馬借(徳政要求)/国一揆=国人(武士)+農民(守護追放)/一向一揆=浄土真宗の門徒
  23. hist-11-q23 加賀の一向一揆が倒した守護と、続いた年数は?
    富樫政親/約100年(1488〜1580)
  24. hist-11-q24 入試頻出一揆が起こせるようになった背景を、農民の変化から説明せよ。
    農業の発達で農民に力がつき、惣で団結して行動できるようになったから
  25. hist-11-q25 入試頻出商人や職人が営業を独占するために作った同業者組合は?
  26. hist-11-q26 室町時代の定期市は月に何回開かれ、何と呼ばれたか?
    6回六斎市
  27. hist-11-q27 室町時代に流通した明の貨幣は?
    明銭(永楽通宝)
  28. hist-11-q28 入試頻出京都の裕福な商工業者で、祇園祭を復興させた人々は?
    町衆
  29. hist-11-q29 入試頻出堺の自治を行った36人の豪商の合議機関は?博多では?
    堺=会合衆/博多=年行司
  30. hist-11-q30 浄土真宗の寺を中心に発達した町を何という?例は?
    寺内町(石山本願寺・吉崎)
  31. hist-11-q31 大きな寺社の前に発達した町を何という?
    門前町(伊勢・長野など)
  32. hist-11-q32 入試頻出北山文化と東山文化の違いを、将軍・建物・特徴で。
    北山=義満・金閣・華やか(公家+武家)/東山=義政・銀閣・わび・さび(禅)
  33. hist-11-q33 能を大成した親子と、世阿弥が書いた能の理論書は?
    観阿弥・世阿弥/『風姿花伝
  34. hist-11-q34 能の合間に演じられた喜劇は?
    狂言
  35. hist-11-q35 書院造の代表で、和室の原型とされる銀閣の建物の部屋は?
    慈照寺東求堂の同仁斎
  36. hist-11-q36 書院造の特徴を3つ。
    畳・床の間・違い棚(障子・ふすま)
  37. hist-11-q37 龍安寺の石庭に代表される、水を使わない庭を何という?
    枯山水
  38. hist-11-q38 わび茶を始めた人物と、連歌を大成した人物は?
    わび茶=村田珠光/連歌=宗祇
  39. hist-11-q39 雪舟はどこの国に渡って水墨画を学んだか?代表作は?
    /「秋冬山水図
  40. hist-11-q40 水墨画と大和絵を合わせた流派を始めた親子は?
    狩野正信・元信(狩野派)
  41. hist-11-q41 2008年にユネスコ無形文化遺産になった室町時代に大成した芸能は?
    能楽(能・狂言)
  42. hist-11-q42 室町時代の本膳料理が源とされ、2013年に無形文化遺産になったものは?
    和食(一汁三菜)

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 11)

3つを声に出して。

  • 惣と一揆とは何で、農民は何を要求した?
  • 東山文化が現代とつながる点は?
  • 下克上とはどういう意味?
惣=村の自治組織。農民は団結して年貢軽減や徳政(借金帳消し)を求め、一揆を起こした。山城国一揆・加賀一向一揆では守護を追放し自治も。
書院造(畳・障子・床の間)=和室の原型。茶の湯・生け花・水墨画など今に続く和風文化の基礎。
下の者が実力で上の者を倒し、その地位を奪うこと。戦国の世を表すキーワード。
🟣

この単元には「3回」会いに来よう

「下克上」「惣・一揆」をつかむと、次のUnit 12(応仁の乱→戦国大名)がスッと入ります。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 11 の進捗 📜 完全年表 室町へ

Unit 12 — 戦国(応仁の乱〜鉄砲・キリスト教)

応仁の乱で幕府の権威が崩れ、各地で戦国大名が実力で領国を支配する乱世へ。そこへ鉄砲・キリスト教が伝来し、戦い方も社会も変わる。天下統一の前夜。

時代の見取り図

支配者は?戦国大名(実力で領国を支配)。将軍・幕府は形だけに。
経済の基盤領国経営(治水・鉱山・城下町・楽市)。南蛮貿易も。
対外関係鉄砲(1543)・キリスト教(1549)伝来。南蛮貿易が始まる。
前からの変化中央集権が完全崩壊。「実力がすべて」の下克上の世へ。
A 土地戦国大名が領国(分国)を一円支配。検地で土地と農民を把握し始める(→秀吉の太閤検地へ)。
B 武士下克上で守護代・国人が戦国大名に成長。武士が完全に主役。鉄砲で戦い方も激変。
C 権力将軍の権威が完全に失墜。実力ある者が上に立つ世。誰が天下を取るか実力勝負へ。
D 対外鉄砲・キリスト教・南蛮貿易でヨーロッパとつながる。世界が日本に入ってくる転換点。

読む前に — 予想クイズ

予想してから読もう。

  1. 応仁の乱(11年も続いた大戦乱)の後、なぜ「戦国時代」になったと思う?
    考えるヒントと答え
    応仁の乱で幕府の権威が地に落ちた。守護大名が領国に帰った隙に、家臣(守護代・国人)が下克上で主君を倒し、実力で領国を支配する戦国大名になった。中央が抑えられず各地が独立的に(縦糸C)。
  2. 鉄砲が伝わると、戦い方はどう変わったと思う?
    考えるヒントと答え
    それまでの一騎打ち・弓矢中心から、足軽の鉄砲隊による集団戦へ。長篠の戦い(次のUnit 13)が代表。城も鉄砲に備えて石垣・天守をもつ城に変わった。天下統一を早めた(縦糸D)。
  3. 戦国大名はなぜ「楽市・楽座」をしたと思う?
    考えるヒントと答え
    商人を自分の城下町に集めて商業を活発にし、税収(軍資金)を増やすため。座(同業組合)の特権をなくして自由に商売させた。経済力=戦争の力だった(縦糸A)。
応仁の乱(1467) 幕府権威の失墜 下克上→戦国大名 鉄砲・キリスト教伝来 天下統一へ
6Wでみる「応仁の乱」(1467-77)
背景8代将軍足利義政の後継問題(弟義視 vs 子義尚)+管領家の家督争いが重なった。
何が守護大名が東軍(細川勝元)と西軍(山名宗全)に分かれて、京都で11年も戦った。
結果京都は焼け野原。勝負はつかず、幕府の権威は地に落ちた。
影響守護大名が領国へ帰った隙に家臣が下克上→各地に戦国大名が乱立。戦国時代が始まった。
6Wでみる「鉄砲・キリスト教の伝来」
背景大航海時代でポルトガル・スペインがアジアに進出していた。
何が・いつ1543年、種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を伝来。1549年、ザビエルが鹿児島でキリスト教を伝えた。
影響鉄砲は堺・国友で量産され、戦い方が集団戦に激変。城も石垣・天守へ。キリスト教は南蛮貿易とともに広まり、キリシタン大名も現れた。

重要事件と年号

1467応仁の乱(〜1477)人の世むなしい(1467)応仁
1543鉄砲伝来(種子島)以後よさん(1543)鉄砲
1549キリスト教伝来(ザビエル)以後よく(1549)広まる
1560桶狭間の戦い(信長→Unit 13)

「鉄砲1543/キリスト教1549」を区別する

鉄砲=以後よさん(1543)種子島/ キリスト教=以後よく(1549)ザビエル

混ざりやすい2つを映像で👉 1543年、種子島の浜に流れ着いたポルトガル人が鉄砲を見せる(モノ=鉄砲が先)。1549年、宣教師ザビエルが鹿児島でキリスト教を説く(人=ザビエルが後)。
👉「先にモノ(鉄砲・1543)、後でココロ(宗教・1549)」。6年差。種子島→鉄砲、ザビエル→キリスト教、と地名・人名でセット化。

重要人物

足利義政1436-14908代将軍。後継問題が応仁の乱の一因。
北条早雲1432-1519「最初の戦国大名」。小田原を本拠に。
武田信玄1521-1573甲斐の戦国大名。「風林火山」。分国法(甲州法度之次第)。川中島で上杉謙信と戦う。
上杉謙信1530-1578越後の戦国大名。武田信玄の好敵手。
フランシスコ=ザビエル1506-1552イエズス会士。1549年鹿児島でキリスト教を伝える。

なぜ鉄砲は「種子島」、キリスト教は「鹿児島」=九州から?

どちらも九州(南西部)から。理由はUnit 2と同じ=大陸・南方の海に近い玄関口だから。大航海時代のヨーロッパ船は、東南アジア経由で九州にやって来た。「新しいもの(稲作・仏教・鉄砲・キリスト教)はみな西から」というパターンがここでも。

この時代の文化・社会

  • 分国法(戦国大名が領国に定めた独自の法・甲州法度之次第など)
  • 城下町(大名の城のまわりに家臣・商工業者を集める)
  • 楽市・楽座(座の特権を廃止し商業を自由に)
  • 南蛮文化のさきがけ(鉄砲・キリスト教・南蛮貿易)
  • ※華やかな桃山文化は次のUnit 13で

同時期の世界

戦国時代の世界は大航海時代+宗教改革。ポルトガル・スペインが世界に進出(鉄砲・キリスト教はこの一環)。ヨーロッパではルター(1517・ドイツ)カルバン(スイス)の宗教改革でカトリックとプロテスタントが対立、対抗してイエズス会が海外布教を強化した(ザビエルもその一人)。

1517ルター 宗教改革
1519-22マゼラン一行 世界周航
1534イエズス会 結成
1543コペルニクス 地動説

📖 史料 — 甲州法度之次第(武田信玄の分国法・1547)

一、喧嘩の事、是非に及ばず成敗を加ふべし。但し、取り懸ると雖も、堪忍せしむるの輩に於ては、罪科に処すべからず。 一、許可なくして他国へ音信・文通の事、堅く停止せしむる事。
出典:『甲州法度之次第』
  1. hist-12-s1 戦国大名が領国に定めた独自の法を何という?
    分国法
  2. hist-12-s2 「喧嘩の事、是非に及ばず成敗を加ふべし」の原則の名は?
    喧嘩両成敗(理由に関係なく両方処罰し、家中の私闘を抑える)

よくある間違い

  • 「鉄砲伝来=ザビエル」→ ✗。鉄砲は1543年ポルトガル人(種子島)、ザビエルは1549年キリスト教
  • 「応仁の乱で勝った側が天下を取った」→ ✗。勝負はつかず、幕府の権威だけが失墜して戦国時代に。
  • 「楽市・楽座は座を保護する政策」→ ✗。逆で、座の特権をなくして商業を自由にする政策。
想起トレーニング:「応仁の乱がなぜ戦国時代の始まりになったか」を説明してみよう
ヒント① 乱で何が崩れた?
11年の戦乱で幕府の権威が地に落ちた。…守護大名はその後どうした?
ヒント② 守護大名が領国に帰ると…
留守の間に家臣(守護代・国人)が下克上で主君を倒し、実力で領国を支配する戦国大名になった。
答え
応仁の乱で幕府の権威が失墜し、守護大名が領国へ帰った隙に、家臣が下克上で主君を倒して戦国大名になった。中央が地方を抑えられず、各地が実力で争う戦国時代が始まった。

戦国大名マップ — 「誰がどこにいたか」

主な戦国大名と本拠地

赤=三英傑に関わる大名、茶=有力大名、緑=鉄砲・キリスト教・貿易の窓口。

1 伊達(陸奥) 2 上杉謙信(越後) 3 武田信玄(甲斐) 4 北条(相模・小田原) 5 今川義元(駿河) 6 織田信長(尾張)・徳川家康(三河) 7 斎藤道三(美濃) 8 朝倉(越前)・浅井(近江) 9 毛利元就(安芸) 10 長宗我部元親(土佐) 11 大友(豊後) 12 島津(薩摩) 13 種子島 1543 鉄砲 14 平戸・長崎(南蛮貿易) 15 堺(鉄砲生産) ● 赤=三英傑に関わる ● 茶=有力大名 ● 緑=海外との窓口
  • 1伊達氏 東北伊達政宗が東北を統一しかける
  • 2上杉謙信 越後(新潟)「軍神」。武田信玄と川中島の戦い(12年間で5回)
  • 3武田信玄 甲斐(山梨)「赤備え」の騎馬隊。分国法「甲州法度之次第」。子の勝頼が長篠で敗北
  • 4北条早雲・氏康 相模(神奈川・小田原)早雲は下剋上の代表。1590年 秀吉に滅ぼされ天下統一完成
  • 5今川義元 駿河(静岡)分国法「今川仮名目録」。1560年桶狭間で信長に討たれる(兵力は信長の約10倍)
  • 6織田信長・徳川家康 尾張・三河(愛知)信長は尾張から天下統一へ。家康は三河
  • 7斎藤道三 美濃(岐阜)油売りから大名に(下剋上)。信長の義父。信長は稲葉山城を落として「岐阜」と改名
  • 8朝倉・浅井 越前(福井)・近江(滋賀)1570年 姉川の戦いで信長・家康に敗れる。朝倉の分国法「朝倉孝景条々」
  • 9毛利元就 安芸(広島)中国地方を支配。「三本の矢」。孫の輝元は五大老
  • 10長宗我部元親 土佐(高知)四国を統一。分国法「長宗我部氏掟書」
  • 11大友義鎮(宗麟) 豊後(大分)キリシタン大名。天正遣欧少年使節を送る(1582)
  • 12島津氏 薩摩(鹿児島)九州の大半を制圧→1587年 秀吉に降伏
  • 13種子島 鹿児島県1543年 ポルトガル人が鉄砲を伝える
  • 14平戸・長崎 長崎県南蛮貿易の港。1549年 ザビエルは鹿児島に上陸
  • 15 大阪府鉄砲の生産地(ほか国友・根来)。自治都市

戦国大名の支配 — 「分国法・城下町・鉱山」

用語中身例・ポイント
下剋上下の者が実力で上の者を倒す風潮北条早雲・斎藤道三・毛利元就。応仁の乱(1467)または明応の政変(1493)から戦国時代
分国法戦国大名が領国だけに通用する独自の法甲州法度之次第(武田)・今川仮名目録・朝倉孝景条々・長宗我部氏掟書。「けんか両成敗」(争った両方を罰する)が有名
城下町城の周りに家臣と商工業者を集めて住まわせた町山の上の山城→平地の平城へ(支配と経済の中心に)。小田原・府中・山口・岐阜
鉱山の開発金山・銀山で軍資金甲斐の金山(武田)・石見銀山(島根・毛利→世界遺産)・佐渡金山
治水・農業堤防で川を治め新田を開く武田信玄の「信玄堤」

ヨーロッパ人の来航 — 「鉄砲・キリスト教・南蛮貿易」

出来事ポイント
1543鉄砲伝来:ポルトガル人が種子島に漂着堺・国友(滋賀)・根来(和歌山)で大量生産→足軽鉄砲隊・戦い方が変わる(長篠 1575)・城のつくりも変わる
1549キリスト教伝来フランシスコ=ザビエル(イエズス会・スペイン人)が鹿児島に上陸山口・大分で布教。キリシタン大名(大友・有馬・大村・高山右近・小西行長)。天正遣欧少年使節(1582・4人の少年をローマへ)。ルイス=フロイスは『日本史』を書いた宣教師
16世紀後半南蛮貿易:ポルトガル・スペイン人(=南蛮人)と平戸・長崎で貿易輸入=鉄砲・火薬・生糸・絹織物・時計・ガラス・たばこ・かぼちゃ/輸出=(石見銀山)・刀・漆器
背景ヨーロッパの大航海時代(コロンブス 1492・バスコ=ダ=ガマ 1498・マゼラン 1519〜)と宗教改革(ルター 1517)宗教改革で勢力を失ったカトリックがイエズス会を作りアジアへ布教→ザビエル

「鉄砲は種子島、キリスト教は鹿児島」を映像で

以後予算(1543)増える鉄砲/以後よく(1549)広まるキリスト教

映像にしよう👉 1543年、嵐で種子島に流れ着いた船からポルトガル人が降りて「ドン!」と鉄砲を撃ち、島主が2丁を大金で買う。6年後、鹿児島の港にザビエルが十字架を掲げて上陸する。南の島→鹿児島と、どちらも九州の南から日本に入ってきた。

📗 つまずき・誤答・テスト頻出パターン(Unit 12)

digitalkodomo「中学生の学習ノート」の整理を取り入れた節。上の本文を読んだあとに、どこで迷いやすいかテストでどう聞かれるかを確認する。

ルネサンス・宗教改革・大航海時代 ── ヨーロッパ人が日本に来るまで

これだけは覚える 「十字軍の失敗→ルネサンスと宗教改革→大航海時代→日本への鉄砲(1543)・キリスト教(1549)」の一本道で整理。三大発明(活版印刷・火薬・羅針盤)は中国起源、大航海時代の3人は人物・年・国・航路・到達地をセットで覚えます。

この章でつまずきやすいところ

ルターとザビエルを同じ側の人物だと思い込んでしまう

つまずく場面本文で「ルターが宗教改革を始めた」→「ザビエルが日本にキリスト教を伝えた」と続けて読むと、2人とも「新しい信仰を広めた人」というイメージが重なり、同じ立場の人物だと誤解してしまう場面です。

克服のコツどちらの教会の側かで見分けるのがコツです。ルターはカトリックを批判してプロテスタントを生んだ側、ザビエルはその批判を受けて立て直しを図ったカトリック側(イエズス会)の宣教師。本文に「批判した」「立て直しのため」とあれば、その言葉に線を引いて読むと整理できます。

ミニ例ルター(1517・ドイツ)はプロテスタントを生み、ザビエル(1549・イエズス会)はカトリックの海外布教で来日。教科書ではこの2人を「対立する側」として整理します。

コロンブス・ガマ・マゼランの航路と国を取り違える

つまずく場面問題で「アフリカを回ってインドに着いたのは誰か」「世界一周を達成したのは誰か」と問われたとき、3人の名前・航路・所属国が頭の中で入れ替わってしまう場面です。

克服のコツ「行き先」と「国」をペアで覚えるのがコツです。コロンブス=西回りでアメリカ大陸付近・スペインガマ=アフリカ回りでインド・ポルトガルマゼラン船隊=世界一周を完遂。3人を同じ枠で覚えず、それぞれ別の記録として1行にまとめておくと迷いません。

ミニ例コロンブス(1492・スペイン)バスコ・ダ・ガマ(1498・ポルトガル)マゼラン船隊(1522・世界一周)。教科書ではこの3つを別々の航海として並べて整理します。

ルネサンスと宗教改革の順番があいまいになる

つまずく場面本文で「ルネサンス」と「宗教改革」がまとめて紹介されるため、どちらが先に始まったのか、2つがどう関係しているのかがぼやけてしまう場面です。

克服のコツ始まった世紀で区別するのがコツです。ルネサンスは14世紀からイタリアで始まり、その中で普及した活版印刷が、聖書を多くの人が読めるようにした土台となって、1517年にルターの宗教改革が起こります。「文化の動き(ルネサンス)が先、教会をめぐる動き(宗教改革)が後」と覚えます。

ミニ例14〜16世紀のルネサンスで活版印刷が広まり、1517年の宗教改革でルターが聖書を重んじる考えを説いた。教科書ではこの前後関係を意識して整理します。

活版印刷・火薬・羅針盤を「ヨーロッパの発明」と思い込んでしまう

つまずく場面「ルネサンスの三大発明」という言葉から、活版印刷・火薬・羅針盤をヨーロッパ人がゼロから発明したものだと誤解してしまう場面です。

克服のコツ「発明」と「実用化・改良」を分けて読むのがコツです。3つの技術はもともと中国で生まれた発明で、ルネサンス期のヨーロッパがこれを取り入れて大きく改良し、広く実用化しました。本文に「実用化」「普及」とあれば、発明そのものではなく使い方を広げた話だと読み替えます。

ミニ例火薬・羅針盤・活版印刷はいずれも中国起源。ヨーロッパでの改良が、宗教改革の広まりや大航海時代の遠洋航海を後押ししたと教科書では整理されます。

みんなが間違える誤答

よくある誤答 ルターとザビエルを同じ側の人物と答える

💡 ここがちがう ルターとザビエルは同じ側ではない。ルターはカトリックを批判した側、ザビエルはその批判を受けて立て直しを図ったカトリック側の宣教師。

正しい理解 ルター(1517・ドイツ)は免罪符の販売を批判してプロテスタントを生んだ。ザビエル(1549・イエズス会)はカトリックの海外布教で来日し、キリスト教を伝えた。

よくある誤答 コロンブス・バスコ・ダ・ガマ・マゼラン船隊の航路や所属国を入れ替えて答える

💡 ここがちがう 3人はそれぞれ別の航海であり、行き先と国が違う。「同じ枠」で覚えると混同する。

正しい理解 コロンブス(1492・スペイン)は西回りでアメリカ大陸付近へ、バスコ・ダ・ガマ(1498・ポルトガル)はアフリカ回りでインドへ、マゼラン船隊(1522)は世界一周を達成した。

よくある誤答 活版印刷・火薬・羅針盤をヨーロッパ人がゼロから発明したと答える

💡 ここがちがう ヨーロッパ人が発明したのではない。3つの技術はもともと中国の発明で、ルネサンス期のヨーロッパがこれを改良し実用化した。

正しい理解 ルネサンス期のヨーロッパは、中国起源の活版印刷・火薬・羅針盤を改良して広く実用化し、宗教改革の広まりや大航海時代の遠洋航海を後押しした。

テストで出る型と答え方

パターン1:十字軍の目的と結果を問う

📝 出題例 十字軍とは何か。呼びかけた組織と目的、遠征の結果を説明しなさい。

答え方 呼びかけた組織(カトリック教会(ローマ教皇))と目的(聖地エルサレムの奪回)を書きます。次に結果は「最終的に聖地の奪回には失敗したが、イスラム世界の香辛料・進んだ学問との接触が生まれた」とセットで書くと加点されます。

⚠️ ありがちなミス 十字軍が「成功した」と誤って書いてしまうミス。聖地の奪回自体は失敗している点に注意。

パターン2:ルネサンスの代表人物と発明の起源を問う

📝 出題例 ルネサンスとはどのような動きか。代表的な人物を1人、実用化された発明を1つ挙げて説明しなさい。

答え方 動きは「ギリシャ・ローマ文化を見直し人間らしさを重んじる14〜16世紀イタリアの文化運動」。人物はレオナルド・ダ・ビンチかミケランジェロ。発明は活版印刷・火薬・羅針盤のいずれかを答え、「もとは中国起源だが、ヨーロッパが実用化した」と付け加えると満点に近づきます。

⚠️ ありがちなミス 三大発明(活版印刷・火薬・羅針盤)をヨーロッパ発の発明だと書いてしまうミス。発明そのものは中国起源。

パターン3:宗教改革の内容を問う

📝 出題例 1517年にルターが行ったことと、その結果生まれた宗派を答えなさい。

答え方 ルターがカトリック教会の免罪符の販売を批判し、「95か条の論題」を発表したことを書きます。結果はプロテスタント(新教)の誕生。カトリック側の対応(イエズス会・海外布教)まで書けるとさらに加点されます。

⚠️ ありがちなミス プロテスタントとカトリックを取り違える、またはルターとザビエルを同じ側の人物と書いてしまうミス。

パターン4:大航海時代の人物・年・国・航路の組み合わせを問う

📝 出題例 次の人物について、それぞれの功績と所属国を答えなさい。ア コロンブス イ バスコ・ダ・ガマ ウ マゼラン船隊

答え方 ア=1492年・西回りでアメリカ大陸付近・スペイン。イ=1498年・アフリカ回りでインド・ポルトガル。ウ=1522年・世界一周を達成。3人を同じ枠にせず、それぞれ別の記録として1行にまとめて整理します。

⚠️ ありがちなミス 3人の航路や所属国を入れ替えてしまうミス。「行き先」と「国」をペアで覚えることが対策になる。

パターン5:年代の並べ替えを問う

📝 出題例 次の出来事を年代の古い順に並べなさい。ア 宗教改革(ルター) イ コロンブスのアメリカ大陸付近への到達 ウ 十字軍 エ 種子島への鉄砲伝来 オ ザビエルの来日

答え方 古い順にウ(11〜13世紀)→イ(1492)→ア(1517)→エ(1543)→オ(1549)。大航海時代のコロンブス(1492年)が、宗教改革(1517年)よりという点が落とし穴です。

⚠️ ありがちなミス 宗教改革とコロンブスの前後を逆にしてしまうミス。コロンブスの到達(1492年)の方が宗教改革(1517年)より25年早い。

テスト前の総仕上げ この単元は「十字軍の失敗→文化と教会の変化(ルネサンス・宗教改革)→航海と到達地(大航海時代)→日本への到着(1543・1549)」の順で声に出して言えるようにしましょう。特に年号(1492/1517/1543/1549)を順に並べられれば、用語問題も年代整序問題も両方取れます。

違い辞典 — 混同しやすい3ペアを表で
ルターとザビエルの違い
比べる軸ルターザビエル
活動した年1517年1549年
所属ドイツの神学者イエズス会の宣教師
教会の側カトリック教会を批判した側立て直しを図るカトリック側
行動免罪符の販売を批判し「95か条の論題」を発表鹿児島に上陸し海外布教を行った
説いた考え「聖書だけが信仰のよりどころ」カトリックの教えを日本に伝える
結果プロテスタント(新教)が誕生日本にキリスト教が伝来
コロンブスとバスコ・ダ・ガマの違い
比べる軸コロンブスバスコ・ダ・ガマ
1492年1498年
スペインポルトガル
航路大西洋を西へ進むアフリカ大陸を回って進む
到達地アメリカ大陸付近インド
その後の展開アステカ帝国・インカ帝国を滅ぼし大量の銀を獲得アフリカ・インド・東南アジアへ進出し香辛料などのアジア貿易で富を獲得
さらにその先アメリカ大陸で植民地経営を進めるポルトガルの船はさらに東へ進み日本にも到達
ルネサンスと宗教改革の違い
比べる軸ルネサンス宗教改革
時期14〜16世紀1517年〜
始まった場所イタリアドイツ
内容ギリシャ・ローマ文化を見直し人間らしさを重んじる文化運動カトリック教会の免罪符販売を批判する教会改革
代表人物レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロルター、カルバン
実用化された技術活版印刷・火薬・羅針盤(もとは中国起源)特になし(技術面ではなく教会の教えが中心)
次への影響活版印刷の普及が聖書を多くの人が読める土台となったカトリックはイエズス会で立て直しを図り海外布教(ザビエルの来日)へ
解き方の手順 — 5ステップ
  1. ステップ 1:十字軍の失敗と接触の成果を分けて確認する

    まず十字軍(11〜13世紀)は、カトリック教会(ローマ教皇)の呼びかけで聖地エルサレムの奪回をめざしてヨーロッパが派遣した軍だと確認します。何度も遠征しましたが最終的に聖地の奪回には失敗しました。しかしこの接触によって、ヨーロッパはイスラム世界の香辛料や進んだ学問(医学・数学など)を知り、東方への関心を強めました。「失敗したこと」と「得たもの」を分けて覚えるのが最初の一歩です。

    例題:「十字軍とは何か。目的と結果を簡潔に説明しなさい」と問われたら、目的=聖地エルサレムの奪回、結果=奪回には失敗したが香辛料・学問との接触が生まれたの2点で答えます。

  2. ステップ 2:ルネサンスを「代表人物+発明の起源」で整理する

    ルネサンスは14〜16世紀にイタリアから広がった文化運動で、ギリシャ・ローマ文化を見直し、神中心ではなく人間らしさを重んじる考え方を広めました。代表人物はレオナルド・ダ・ビンチ(「モナ・リザ」)とミケランジェロ(システィーナ礼拝堂の天井画など)。もう一つ重要なのが活版印刷・火薬・羅針盤の実用化で、これらはいずれも中国の発明を、ヨーロッパが改良して広く実用化したものだという点をセットで覚えます。

    例題:「代表的な人物と、実用化された発明を1つずつ答えなさい」と問われたら、レオナルド・ダ・ビンチ(またはミケランジェロ)と活版印刷(または火薬・羅針盤)を答えます。

  3. ステップ 3:宗教改革を「批判→誕生した宗派→カトリックの対応」でつなぐ

    1517年、ドイツのルターがカトリック教会による免罪符の販売を批判し、「95か条の論題」を発表しました。「聖書だけが信仰のよりどころ」と説き、教会の権威に対抗したのが出発点です。この考えに従う人々からプロテスタント(新教)が誕生し、カルバン(スイス)も同様の改革を進めました。一方カトリック教会も勢力の立て直しを図り、その中心となったのがイエズス会で、海外への布教に力を入れました。この動きが、のちに日本へザビエルを送る直接の背景になります。

    例題:「ルターが批判したものは何か。またその結果生まれた宗派を答えなさい」と問われたら、免罪符の販売/プロテスタントと答えます。

  4. ステップ 4:大航海時代を「人物→年→国→航路→到達地」で表にする

    コロンブス(1492・スペイン)は大西洋を西へ進みアメリカ大陸付近に到達、バスコ・ダ・ガマ(1498・ポルトガル)はアフリカ大陸を回ってインドに到達、マゼラン船隊(1522)は人類初の世界一周を達成しました(マゼラン自身はフィリピンで死亡し部下が航海を完遂)。スペインはアステカ帝国・インカ帝国を滅ぼし銀を得て、ポルトガルはアフリカ・インド・東南アジアで香辛料貿易の富を得ました。この5つの要素(人物・年・国・航路・到達地)を表にして整理すると混同を防げます。

    例題:「コロンブス・バスコ・ダ・ガマ・マゼラン船隊について、それぞれの功績と所属国を答えなさい」という設問で3人まとめて聞かれることが多いです。

  5. ステップ 5:日本への到着点を1543年・1549年でセットで覚える

    大航海時代でアジアへ進出したポルトガル人は、やがて日本にも到達します。1543年、種子島にポルトガル人が漂着し鉄砲を伝えました。1549年、イエズス会の宣教師ザビエルが鹿児島に上陸しキリスト教を伝えました。この2つの伝来は、十字軍→ルネサンス・宗教改革→大航海時代という長い流れの「到着点」にあたることを最後に確認します。

    例題:「1543年と1549年に日本で起きたことをそれぞれ答えなさい」と問われたら、種子島への鉄砲伝来(ポルトガル人)/鹿児島へのザビエル上陸によるキリスト教伝来と答えます。

この章のまとめ
  • 十字軍(11〜13世紀)は聖地奪回に失敗したが、ヨーロッパはイスラム世界の香辛料・学問と接触。
  • ルネサンス(14〜16世紀・イタリア)で人間らしさが見直され、活版印刷・火薬・羅針盤(いずれも中国起源)が実用化。
  • 宗教改革(1517年〜ルター)でプロテスタント誕生。カトリックはイエズス会で海外布教へ。
  • 大航海時代:コロンブス(1492・スペイン)、バスコ・ダ・ガマ(1498・ポルトガル)、マゼラン船隊(1522・世界一周)。
  • 1543年 種子島に鉄砲(ポルトガル人)、1549年 鹿児島にザビエル(イエズス会)が上陸し、日本と接続する。

戦国時代 ── 下克上と城下町

これだけは覚える 応仁の乱(1467年)から、信長が室町幕府を滅ぼす1573年ごろまでの約100年間=戦国時代(終わりは諸説あり)。下克上の世で戦国大名分国法・城下町で領国を経営。1543年種子島に鉄砲(ポルトガル人)、1549年鹿児島にキリスト教(ザビエル)。

この章でつまずきやすいところ

守護大名と戦国大名を同じものと思い込んでしまう

つまずく場面本文で「武田氏は守護大名から戦国大名へ」「北条早雲は下克上で戦国大名に」と続けて出てくると、どちらも『戦国大名』なので頭の中で一緒に混ざり、どこが違うのか分からなくなる場面です。

克服のコツ出発点(どこから始まったか)で見分けるのがコツです。守護大名は室町幕府から任命された役職を出発点とする存在、戦国大名は実力で領国を支配した存在(守護大名から戦国大名になった例もあります)。本文に「もとは○○」と書かれていたら、出発点の方に線を引いて読むと整理できます。

ミニ例武田氏(甲斐)は守護大名から戦国大名へ移行した例、北条早雲は伊豆を奪って戦国大名となった下克上の代表例。教科書では同じ「戦国大名」でも出発点が違うと整理します。

鉄砲伝来とキリスト教伝来の年・場所を取り違える

つまずく場面問題で「1543年に伝わったのは何か」「鹿児島に上陸したのは誰か」と問われたとき、本文の「1543年・種子島」と「1549年・鹿児島」が頭の中で入れ替わり、どちらがどちらの出来事か迷ってしまう場面です。

克服のコツ時系列と場所のペアで覚えるのがコツです。先に来たのは『モノ』=鉄砲(1543年・種子島)あとに来たのは『信仰』=キリスト教(1549年・鹿児島)。本文を読むときも「年→場所→何が→誰が」の順で1行にまとめて余白にメモすると、設問で迷いません。

ミニ例1543年・種子島・鉄砲・ポルトガル人1549年・鹿児島・キリスト教・ザビエル(イエズス会)。教科書ではこの2つを別々の出来事として並べて整理します。

下克上を「ただの無秩序」とだけ捉えてしまう

つまずく場面本文で「下の者が上を倒す」と読むと、戦国時代をただの乱世・無秩序な時代としてイメージしてしまい、そのあとに出てくる「分国法」「城下町」「楽市・楽座」が、なぜ整然と整備されているのか結びつかなくなる場面です。

克服のコツ因果関係でつなぐのがコツです。下克上は古い秩序を壊す動きであると同時に、戦国大名が新しい支配の仕組みを作る出発点でもあります。本文では「壊す側面」と「作る側面」が同じページに並ぶことを意識して読むと、分国法や城下町の意味が見えてきます。

ミニ例分国法(今川仮名目録・甲州法度之次第など)で家臣を統制し、城下町に商人や職人を集める。教科書では下克上を「新しい支配秩序を作る動き」としても整理します。

城下町と門前町など他の都市を混同してしまう

つまずく場面本文で「城下町は領国の経済の中心」と読んだあとに、社会で前に習った門前町や港町を思い出し、「城下町って結局どんな町だっけ」と頭の中で他の都市タイプとごちゃ混ぜになってしまう場面です。

克服のコツ中心にあるもの(位置関係)で見分けるのがコツです。城下町は城を中心に家臣・商人・職人を集めた町。寺社が中心なら門前町、港が中心なら港町、と「町の中心に何があるか」で分けると区別がはっきりします。

ミニ例城を中心に発展した城下町の代表は、小田原(北条氏)・一乗谷(朝倉氏)・春日山(上杉氏)・甲府(武田氏)。教科書では大名の本拠と城下町をセットで整理します。

みんなが間違える誤答

よくある誤答 キリスト教は1543年にポルトガル人が伝えたと答える

💡 ここがちがう 1543年・ポルトガル人は鉄砲伝来の事がらで、キリスト教伝来とごちゃ混ぜにしている。

正しい理解 キリスト教は1549年にイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して伝えた。

よくある誤答 楽市・楽座は座という商人の組合を新しく作って、商売を保護する政策だと答える

💡 ここがちがう 楽座は座を「廃止」する政策なのに、座を「作る」と逆に理解している。

正しい理解 楽市・楽座は座の特権を否定し、座を廃止して、誰でも自由に商売できるようにする政策である。

よくある誤答 南蛮貿易で日本は鉄砲や火薬を輸出したと答える

💡 ここがちがう 鉄砲や火薬は日本が輸入したもので、輸出品と輸入品を取り違えている。

正しい理解 南蛮貿易で日本は銀や刀剣を輸出した。

テストで出る型と答え方

パターン1:「下克上」の意味と例を問う

📝 出題例 応仁の乱の後に広まった「下克上」とはどのような風潮か、簡単に説明しなさい。また、下克上で成り上がった戦国大名の例を1人挙げなさい。

答え方 まず「下の身分の者が、実力で上の身分の者を倒して取って代わる風潮」と定義をきっちり書きます。次に例として斎藤道三(油売りから身を起こし美濃の守護代を倒して国主となった)毛利元就(安芸の小領主から中国地方の覇者へ)陶晴賢(主君の大内義隆を倒した)などを挙げます。「下の者が上に勝つ」だけだと減点されやすいので、必ず「身分」「実力で」「取って代わる」のキーワードを入れましょう。

⚠️ ありがちなミス 「下の者が上の者を倒すこと」とだけ書いて、「身分」「取って代わる」という言葉を抜かしてしまうミスが多いです。

パターン2:分国法の名前と大名を結びつける

📝 出題例 戦国大名が自分の領国に定めた独自の法律を何というか答えなさい。また、武田氏が定めた分国法の名前を答えなさい。

答え方 用語は「分国法(ぶんこくほう)」。代表例は「大名→分国法名」でセットで覚えます。中学で押さえる三大分国法は今川氏=今川仮名目録/伊達氏=塵芥集(じんかいしゅう)/武田氏=甲州法度之次第の3つです。目的は「家臣や領民の統制」で、「喧嘩両成敗」など家臣同士の私闘を禁じた点も書けるとベスト。

⚠️ ありがちなミス 「塵芥集」と「今川仮名目録」を取り違える、または「分国法」を「国分法」と書き間違えるミスがよく出ます。

パターン3:鉄砲伝来の年・場所・人物をセットで問う

📝 出題例 1543年に鉄砲が伝来した場所はどこか、また伝えたのは何人か答えなさい。鉄砲伝来が戦い方に与えた影響も簡単に書きなさい。

答え方 「年・場所・人」を1543年/種子島(鹿児島県)/ポルトガル人と即答できるようにします。場所は単に「鹿児島」ではなく島名の「種子島」まで書くのが基本です。影響は「個人の武勇による一騎打ちから、足軽鉄砲隊を中心とする集団戦へ変化した(長篠の戦い〈1575年〉が代表例)」とまとめます。生産地として堺(大阪)・国友(滋賀)も覚えておくと記述で差がつきます。

⚠️ ありがちなミス 伝えた人を「スペイン人」と書くミスが頻発します。場所については、種子島は鹿児島県に属するので「鹿児島」も間違いとはいえませんが、テストでは島名まで含めて「種子島(鹿児島県)」と答えるのが正確です。

パターン4:キリスト教伝来とザビエルを問う

📝 出題例 1549年に日本にキリスト教を伝えた宣教師の名前と、上陸した場所、所属していた修道会を答えなさい。

答え方 三点セットで覚えます。人物=フランシスコ・ザビエル/上陸地=鹿児島/修道会=イエズス会/年=1549年。鉄砲伝来(1543年・種子島)と6年差・場所も似ているので「鉄砲は種子島、キリスト教は鹿児島」と区別して暗記。発展として大友宗麟などキリシタン大名や天正遣欧少年使節(1582年)も押さえます。

⚠️ ありがちなミス 上陸地を「種子島」、所属を「フランシスコ会」と書いてしまうミスが定番。鉄砲伝来とごちゃ混ぜにしないこと。

パターン5:南蛮貿易の輸出入品を問う

📝 出題例 戦国時代から行われた南蛮貿易について、相手国(南蛮人)と、おもな輸入品・輸出品をそれぞれ答えなさい。

答え方 相手はポルトガル人・スペイン人(南蛮人)。輸入品は中国産の生糸・絹織物(ポルトガル船が仲介)、鉄砲・火薬、ガラス製品、香料、たばこ、輸出品の中心は銀(石見銀山の銀)と覚えます。日明貿易(勘合貿易)の輸出品が刀剣・銅であったのに対し、南蛮貿易の代表的な輸出品は銀である点を区別しましょう。港は長崎・平戸・府内などの九州。日本語に残った「パン・カステラ・カッパ・タバコ・ボタン」を例として書ければ加点されやすいです。

⚠️ ありがちなミス 輸出品と輸入品を逆に書くミス(特に「銀」が輸出側)、相手を「オランダ・イギリス」と書いてしまうミスに注意。また、刀剣を南蛮貿易の輸出品としてしまうのは日明貿易との混同なので気をつけましょう。

テスト前の総仕上げ 戦国時代は「1467年応仁の乱→約100年の戦国の世→1573年室町幕府滅亡(信長による)→1590年豊臣秀吉の天下統一」という時間軸を1本おさえ、その中に1543年鉄砲(種子島・ポルトガル)/1549年キリスト教(鹿児島・ザビエル)をはめ込みましょう。年号・場所・人物の三点セットで暗記するのが高得点への近道です。

違い辞典 — 混同しやすい3ペアを表で
守護大名と戦国大名の違い
比べる軸守護大名戦国大名
地位の由来室町幕府の役職(守護)に由来する実力で領国を奪い取って支配する
時期南北朝・室町時代に成立応仁の乱(1467年)後の戦国時代に台頭
幕府との関係幕府の権威を背景に支配幕府の権威に頼らず独立的に領国を経営
成り上がりの有無家柄・伝統で地位を得る下剋上で家臣や地侍から成り上がる例も多い
領国の支配方法幕府の枠組みに沿った支配分国法・検地・治水など独自の領国経営
代表的な人物武田氏・今川氏など(守護から戦国大名へ移行する例もあり)北条早雲・斎藤道三・毛利元就など
鉄砲伝来とキリスト教伝来の違い
比べる軸鉄砲伝来キリスト教伝来
1543年1549年
伝えた人ポルトガル人(嵐で漂着)宣教師フランシスコ・ザビエル
上陸・伝来地種子島(現・鹿児島県)鹿児島(現・鹿児島市付近)
伝えた人の出身国ポルトガルスペイン
所属商人・船員(民間の貿易商人)カトリックのイエズス会
主な影響の分野戦術・軍事技術(集団の鉄砲戦・石垣の城)信仰・貿易・外交(キリシタン大名・南蛮貿易)
国内での広がり堺・国友などで国産化・大量生産九州・西国で信者が増え、キリシタン大名が登場
代表的なできごと種子島領主が2丁を購入し家臣に研究させた天正遣欧少年使節(1582年)
山城と平山城・平城の違い
比べる軸山城平山城・平城
時期戦国時代の中心(戦国前~中期)戦国末期から増加
立地高い山の上に築く平地や小高い丘の上に築く
主な目的敵を防ぐ軍事拠点軍事拠点+広い城下町の整備
城下町との関係山の上のため城下町は小規模城のまわりに広い城下町をつくれる
鉄砲への対応山の地形を生かして防御石垣の城など鉄砲戦に対応した構造へ
経済との結びつき戦闘重視で経済機能は限定的領国の経済の中心として家臣・商人・職人を集める
解き方の手順 — 5ステップ
  1. 時期と背景を最初に固定する

    問題を読んだら、まず「いつ・どこで・誰が・何をしたか」を確認します。戦国時代は応仁の乱(1467年)をきっかけに始まったとされる約100年間で、室町幕府の権威が失墜した時期だと押さえます。背景→できごと→変化→影響の順で並べると、因果関係が見えてきます。

    例題:例:「戦国時代はいつから?」→応仁の乱(1467年)をきっかけに始まり、信長上洛(1568年)や室町幕府滅亡(1573年)ごろまでの約100年間と答える。

  2. 下克上と戦国大名を区別する

    下克上は「下の身分の者が上の身分の者を倒して取って代わる風潮」。守護大名(幕府の役職に由来)と戦国大名(実力で領国を支配)の違いを意識します。さらに戦国大名を「守護大名から成り上がった者」と「家臣・地侍から成り上がった者」に分けて覚えると整理しやすいです。

    例題:例:北条早雲(伊勢宗瑞)は伊豆・小田原を奪い関東に進出した戦国大名の先駆け。武田・今川は守護大名出身。なお斎藤道三の美濃国盗りは、近年は父子2代の事績とされています。

  3. 分国法と城下町を領国経営でまとめる

    戦国大名の領国経営は分国法城下町を軸に覚えます。分国法は領国独自の法律で、喧嘩両成敗など家臣の私闘禁止が特徴。城下町は城+家臣・商人・職人の町で領国経済の中心。楽市・楽座は座の特権を否定し商売を自由にする政策で、信長らが本格化させ、一部の戦国大名も導入しました。

    例題:例:今川仮名目録(今川氏)/塵芥集(伊達氏)/甲州法度之次第(武田氏)。城下町の例:小田原(北条)・一乗谷(朝倉)・春日山(長尾氏、のちの上杉氏)。

  4. 1543年と1549年を区別して覚える

    南蛮人との接触で2つの伝来があります。1543年・種子島・ポルトガル人→鉄砲伝来、1549年・鹿児島・フランシスコ=ザビエル(イエズス会)→キリスト教伝来です。なお1543年の鉄砲伝来は中国船に乗っていたポルトガル人による偶発的な漂着で、本格的な南蛮貿易(ポルトガルとの貿易)が始まるのは1550年代以降です。1549年のザビエルはスペイン(ナバラ)出身ですが、当時はポルトガルの貿易ルートに乗って来日しており、スペインの貿易船が日本に直接来航するのは1580年代以降です。「鉄砲は戦術、キリスト教は信仰・貿易・外交」と影響の軸を分けて区別します。

    例題:例:「ザビエルの上陸地と年は?」→1549年・鹿児島、所属はイエズス会。鉄砲は1543年・種子島

  5. 南蛮貿易と影響を結びつける

    南蛮貿易の港は長崎・平戸が中心で、府内(大分)はキリスト教布教の拠点として知られます。輸入品=鉄砲・火薬・絹織物・ガラス・たばこ輸出品=銀(中心)・刀剣・漆器などと整理します。鉄砲は堺・国友で国産化が進み、戦い方が個人の武勇から集団の鉄砲戦へ、城も石垣の城へ変化したと結びつけて覚えましょう。

    例題:例:南蛮文化として伝わった食べ物にはパン・カステラなどがあり、日本語に残る南蛮起源の言葉にはボタン・タバコ・カッパなどがある。輸出の中心は

この章のまとめ
  • 戦国時代は 応仁の乱(1467年)〜信長上洛(1568年)の約100年間。
  • 下克上の世で、各地に戦国大名が独自に支配。
  • 大名は 分国法で家臣・領民を統制し、城下町を整備、楽市・楽座で商業を活性化。
  • 1543年に種子島へ鉄砲(ポルトガル人)、1549年に鹿児島へキリスト教(ザビエル)が伝来。
  • 南蛮貿易で銀を輸出し、鉄砲・火薬・絹などを輸入。

練習問題 — Unit 12

  1. hist-12-q1 1467年に始まり戦国時代のきっかけとなった戦乱は?
    応仁の乱
  2. hist-12-q2 応仁の乱のときの将軍は?
    足利義政(8代)
  3. hist-12-q3 下の者が実力で上の者を倒す風潮を何という?
    下克上
  4. hist-12-q4 実力で領国を支配した大名を何という?
    戦国大名
  5. hist-12-q5 「最初の戦国大名」と呼ばれ小田原を本拠にしたのは?
    北条早雲
  6. hist-12-q6 上杉謙信と川中島で戦った甲斐の戦国大名は?
    武田信玄
  7. hist-12-q7 戦国大名が領国に定めた独自の法は?
    分国法
  8. hist-12-q8 戦国大名が城のまわりに家臣や商人を集めた町は?
    城下町
  9. hist-12-q9 座の特権を廃止して商業を自由にした政策は?
    楽市・楽座
  10. hist-12-q10 1543年、鉄砲が伝来した場所は?
    種子島(鹿児島県)
  11. hist-12-q11 鉄砲を伝えたのはどこの国の人?
    ポルトガル人
  12. hist-12-q12 鉄砲の主な生産地を2つ。
    堺(大阪)・国友(滋賀)
  13. hist-12-q13 1549年にキリスト教を伝えた宣教師は?
    フランシスコ=ザビエル
  14. hist-12-q14 ポルトガル・スペインとの貿易を何という?
    南蛮貿易
  15. hist-12-q15 キリスト教を信仰した大名を何という?
    キリシタン大名
  16. hist-12-q16 入試頻出鉄砲の伝来は戦い方をどう変えたか?
    一騎打ちから足軽の鉄砲隊による集団戦へ。城も石垣・天守をもつ形に変わり、天下統一を早めた
  17. hist-12-q17 戦国時代の始まりとされる2つの出来事は?
    応仁の乱(1467)または明応の政変(1493)
  18. hist-12-q18 入試頻出川中島で5回戦った2人の戦国大名と、それぞれの国は?
    武田信玄(甲斐=山梨)と上杉謙信(越後=新潟)
  19. hist-12-q19 下剋上の代表とされる、伊豆・相模を奪った戦国大名は?
    北条早雲(小田原)
  20. hist-12-q20 入試頻出武田氏・今川氏の分国法をそれぞれ何という?
    甲州法度之次第今川仮名目録
  21. hist-12-q21 分国法によく見られる「争った両方を罰する」きまりを何という?
    けんか両成敗
  22. hist-12-q22 入試頻出戦国大名が城の周りに家臣や商工業者を集めて作った町は?城は山城からどこへ移ったか?
    城下町平城(平地)へ
  23. hist-12-q23 毛利元就・長宗我部元親・島津氏の本拠地はそれぞれどこ?
    安芸(広島)・土佐(高知)・薩摩(鹿児島
  24. hist-12-q24 入試頻出鉄砲はどこの国の人が、どこに伝えたか?
    ポルトガル人種子島(鹿児島県)に(1543)
  25. hist-12-q25 鉄砲の国内の生産地を2つ。
    (大阪)・国友(滋賀)(根来)
  26. hist-12-q26 入試頻出ザビエルはどこの国の人で、何という宗教団体で、どこに上陸したか?
    スペイン人・イエズス会鹿児島(1549)
  27. hist-12-q27 キリスト教を信じた大名を何といい、彼らがローマへ送った少年たちを何という?
    キリシタン大名天正遣欧少年使節(1582・大友宗麟ら)
  28. hist-12-q28 入試頻出南蛮貿易の輸入品と輸出品を2つずつ。
    輸入=鉄砲・火薬・生糸/輸出=銀・刀
  29. hist-12-q29 ヨーロッパ人がアジアへ来た背景となる、15〜16世紀の2つの動きは?
    大航海時代(コロンブス・バスコ=ダ=ガマ・マゼラン)と宗教改革(ルター→カトリックのイエズス会が海外布教)
  30. hist-12-q30 石見銀山はどこの県にあり、誰が支配したか?
    島根県/毛利氏(→世界遺産)
  31. hist-12-q31 斎藤道三の稲葉山城を落とした信長は、そこを何と改名したか?
    岐阜
  32. hist-12-q32 入試頻出十字軍とは何か。呼びかけた組織と目的、遠征の結果を説明しなさい。
    呼びかけた組織(カトリック教会(ローマ教皇))と目的(聖地エルサレムの奪回)を書きます。次に結果は「最終的に聖地の奪回には失敗したが、イスラム世界の香辛料・進んだ学問との接触が生まれた」とセットで書くと加点されます。 ⚠️ 十字軍が「成功した」と誤って書いてしまうミス。聖地の奪回自体は失敗している点に注意。
  33. hist-12-q33 入試頻出ルネサンスとはどのような動きか。代表的な人物を1人、実用化された発明を1つ挙げて説明しなさい。
    動きは「ギリシャ・ローマ文化を見直し人間らしさを重んじる14〜16世紀イタリアの文化運動」。人物はレオナルド・ダ・ビンチかミケランジェロ。発明は活版印刷・火薬・羅針盤のいずれかを答え、「もとは中国起源だが、ヨーロッパが実用化した」と付け加えると満点に近づきます。 ⚠️ 三大発明(活版印刷・火薬・羅針盤)をヨーロッパ発の発明だと書いてしまうミス。発明そのものは中国起源。
  34. hist-12-q34 入試頻出1517年にルターが行ったことと、その結果生まれた宗派を答えなさい。
    ルターがカトリック教会の免罪符の販売を批判し、「95か条の論題」を発表したことを書きます。結果はプロテスタント(新教)の誕生。カトリック側の対応(イエズス会・海外布教)まで書けるとさらに加点されます。 ⚠️ プロテスタントとカトリックを取り違える、またはルターとザビエルを同じ側の人物と書いてしまうミス。
  35. hist-12-q35 入試頻出次の人物について、それぞれの功績と所属国を答えなさい。ア コロンブス イ バスコ・ダ・ガマ ウ マゼラン船隊
    ア=1492年・西回りでアメリカ大陸付近・スペイン。イ=1498年・アフリカ回りでインド・ポルトガル。ウ=1522年・世界一周を達成。3人を同じ枠にせず、それぞれ別の記録として1行にまとめて整理します。 ⚠️ 3人の航路や所属国を入れ替えてしまうミス。「行き先」と「国」をペアで覚えることが対策になる。
  36. hist-12-q36 入試頻出次の出来事を年代の古い順に並べなさい。ア 宗教改革(ルター) イ コロンブスのアメリカ大陸付近への到達 ウ 十字軍 エ 種子島への鉄砲伝来 オ ザビエルの来日
    古い順にウ(11〜13世紀)→イ(1492)→ア(1517)→エ(1543)→オ(1549)。大航海時代のコロンブス(1492年)が、宗教改革(1517年)よりという点が落とし穴です。 ⚠️ 宗教改革とコロンブスの前後を逆にしてしまうミス。コロンブスの到達(1492年)の方が宗教改革(1517年)より25年早い。
  37. hist-12-q37 入試頻出応仁の乱の後に広まった「下克上」とはどのような風潮か、簡単に説明しなさい。また、下克上で成り上がった戦国大名の例を1人挙げなさい。
    まず「下の身分の者が、実力で上の身分の者を倒して取って代わる風潮」と定義をきっちり書きます。次に例として斎藤道三(油売りから身を起こし美濃の守護代を倒して国主となった)毛利元就(安芸の小領主から中国地方の覇者へ)陶晴賢(主君の大内義隆を倒した)などを挙げます。「下の者が上に勝つ」だけだと減点されやすいので、必ず「身分」「実力で」「取って代わる」のキーワードを入れましょう。 ⚠️ 「下の者が上の者を倒すこと」とだけ書いて、「身分」「取って代わる」という言葉を抜かしてしまうミスが多いです。
  38. hist-12-q38 入試頻出戦国大名が自分の領国に定めた独自の法律を何というか答えなさい。また、武田氏が定めた分国法の名前を答えなさい。
    用語は「分国法(ぶんこくほう)」。代表例は「大名→分国法名」でセットで覚えます。中学で押さえる三大分国法は今川氏=今川仮名目録/伊達氏=塵芥集(じんかいしゅう)/武田氏=甲州法度之次第の3つです。目的は「家臣や領民の統制」で、「喧嘩両成敗」など家臣同士の私闘を禁じた点も書けるとベスト。 ⚠️ 「塵芥集」と「今川仮名目録」を取り違える、または「分国法」を「国分法」と書き間違えるミスがよく出ます。
  39. hist-12-q39 入試頻出1543年に鉄砲が伝来した場所はどこか、また伝えたのは何人か答えなさい。鉄砲伝来が戦い方に与えた影響も簡単に書きなさい。
    「年・場所・人」を1543年/種子島(鹿児島県)/ポルトガル人と即答できるようにします。場所は単に「鹿児島」ではなく島名の「種子島」まで書くのが基本です。影響は「個人の武勇による一騎打ちから、足軽鉄砲隊を中心とする集団戦へ変化した(長篠の戦い〈1575年〉が代表例)」とまとめます。生産地として堺(大阪)・国友(滋賀)も覚えておくと記述で差がつきます。 ⚠️ 伝えた人を「スペイン人」と書くミスが頻発します。場所については、種子島は鹿児島県に属するので「鹿児島」も間違いとはいえませんが、テストでは島名まで含めて「種子島(鹿児島県)」と答えるのが正確です。
  40. hist-12-q40 入試頻出1549年に日本にキリスト教を伝えた宣教師の名前と、上陸した場所、所属していた修道会を答えなさい。
    三点セットで覚えます。人物=フランシスコ・ザビエル/上陸地=鹿児島/修道会=イエズス会/年=1549年。鉄砲伝来(1543年・種子島)と6年差・場所も似ているので「鉄砲は種子島、キリスト教は鹿児島」と区別して暗記。発展として大友宗麟などキリシタン大名や天正遣欧少年使節(1582年)も押さえます。 ⚠️ 上陸地を「種子島」、所属を「フランシスコ会」と書いてしまうミスが定番。鉄砲伝来とごちゃ混ぜにしないこと。
  41. hist-12-q41 入試頻出戦国時代から行われた南蛮貿易について、相手国(南蛮人)と、おもな輸入品・輸出品をそれぞれ答えなさい。
    相手はポルトガル人・スペイン人(南蛮人)。輸入品は中国産の生糸・絹織物(ポルトガル船が仲介)、鉄砲・火薬、ガラス製品、香料、たばこ、輸出品の中心は銀(石見銀山の銀)と覚えます。日明貿易(勘合貿易)の輸出品が刀剣・銅であったのに対し、南蛮貿易の代表的な輸出品は銀である点を区別しましょう。港は長崎・平戸・府内などの九州。日本語に残った「パン・カステラ・カッパ・タバコ・ボタン」を例として書ければ加点されやすいです。 ⚠️ 輸出品と輸入品を逆に書くミス(特に「銀」が輸出側)、相手を「オランダ・イギリス」と書いてしまうミスに注意。また、刀剣を南蛮貿易の輸出品としてしまうのは日明貿易との混同なので気をつけましょう。

仕上げ:人に説明できたら本物(Unit 12)

3つを声に出して。

  • 応仁の乱はなぜ戦国時代の始まりになった?
  • 鉄砲とキリスト教は、いつ・どこに・誰が伝えた?
  • 鉄砲は戦い方をどう変えた?
幕府の権威が失墜し、守護大名が領国へ帰った隙に家臣が下克上で戦国大名になり、各地が実力で争う世になった。
② 鉄砲=1543年・種子島・ポルトガル人。キリスト教=1549年・鹿児島・ザビエル
③ 一騎打ちから足軽の鉄砲隊による集団戦へ。城も石垣・天守をもつ形に変わった。
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鉄砲伝来は次のUnit 13(長篠の戦い・信長)に直結。「応仁の乱→戦国→統一」の大きな流れを意識しましょう。

1回目:本文を読みながら 2回目:❌❓だけ解き直す 3回目:何も見ず🗣で説明

年表で深掘り — 「よく出る」「引っかけ」つきの詳しい解説

年表ページには、各事項の出典・よく出るポイント・引っかけまで載っています。用語をタップすると、年表の解説に飛びます。

Unit 12 の進捗 📜 完全年表 戦国へ